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小説 中編 『ジグゾーパズルの一片』 [創作]

彼を突き動かしたものは『怒り』であった。
あたたかい場所を奪われた怒り。
お腹いっぱいの満足な眠りを奪われた怒り。
そして何より今のこの理不尽な暴力ともいえる
訳の分からない真っ暗な状況に閉じ込められるという怒り。

きっとよくないことだという予感はあった。
震えて救いを求めるような兄弟たちの鼻声も、
自分は決してたてるまいと、揺れ動く暗闇の中で四肢を踏ん張って耐えていた。
ようやく車から降ろされて、箱を開けられたとき
彼は兄弟たちをかばうように、自分たちを見下ろす人間をにらみつけた。
「元気でな。いい人に拾われろよ。」
人間は身勝手だ。
散々良い想いをさせてから、自分がいらなくなると余計なものとして捨てる。
それなら最初からなぜ僕らを産ませた。
苦しみをより苦しませるために、幸せな時を与えたのか。
それなら最初から関りを持たせるな。

人間が箱を空けて立ち去ると
ずんと寒さが落ちてきた。
寄せ合っても互いの冷たさが新たな震えを呼んだ。
これ以上ここにいては体力が失われて動けなくなる。
彼は箱に体当たりをしてみた。
箱は少しずれただけだった。
縁にわずかにかかる足でよじ登ろうとするが、何度も背から落ちてしまう。
「諦めない!ここで出来なければ生きて行けなくなるんだ!」
狭い箱の中で、思い切り助走をつけて縁に向かって飛び乗った。
腹のところに縁の角が食い込んで、鋭い痛みを感じたが
彼は後ろ脚をばたつかせてようやく箱の牢獄から這い出すことが出来た。
箱の中から兄弟たちの鳴き声が聞こえた。
どうにか連れ出せないか、何度も箱を調べても噛みついても
箱はピクリともしない。
彼は川べりまで降りるとたらふく水を飲んだ。
みんなにも飲ませてやりたい・・。
胸の大きな痛みとつかえが、涙となって溢れてくるようだった。

なんて・・無力なちっぽけな存在なんだろう。
生きていようが死んでしまおうが、誰も気づかない何も変わらない。
何のために?そんなこと知るもんか。
僕は生きている。まだ生きているんだ。
僕は僕が生きると決めたんだ。

彼は丈高い枯れた草原を歩き始めた。
川を外れると住宅街があり、狭苦しい家々の立ち並ぶその向こうは
川の流れよりも早い自動車が、列をなして同じ方向へ流れて行く。
ふと彼は足を止めて、鼻を空に向けた。
食べるものの匂い。
彼はふらつく足で、その匂いがする一軒の家の前に辿り着いた。
用心深く、ゆっくり垣根の方から中を窺う。
小さな老婦人が、背を丸めて何やら食事を作っているのが
明け放した庭側の窓からみえた。
どうやら焼いているお肉の煙を外に出そうと窓を開けているらしい。
彼はその後ろ姿を凝視しながら、一歩一歩と近ずいて行く。
自然にあふれたよだれが、ぽたりぽたりと地面に落ちるのも気づかない。
老婦人が肉を皿に盛ると、振り返ってテーブルに置こうとした・・
と、彼女は今まさに窓から足を家に踏み込もうとしている小さな犬に気が付いた。
「ぶたれる!逃げなくちゃ!」
彼は腰は引けているのだが、足が勝手に前に進んでしまう。
老婦人はそんな彼を驚いたように見つめたが、すぐにまた後ろを向いた。
そして棚から小さな皿を取り出すと、盛り付けた食事を少し取り分けた。
「なんとまぁ。かわいらしいお客さん。お腹が空いているんだね?」
彼女は静かに少し離れたところにその小皿を置いた。
「おいで。たんと召し上がり。」
彼はおそるおそるその小皿に近付くと、老婦人の方を見ながら一口食べて、
さっと後ろに飛びのいた。
口の中にひろがる温かさ・・。それが胸に落ち腹に落ちてゆく。
ああ・・うまいなぁ。
そしてもう一度小皿に近付き、今度は顔を埋めるようにして貪り食った。

それを見て老婦人はそっと冷蔵庫から出した牛乳を鍋にかけて温めた。
すこし冷ますと、別に小皿にそれを注ぎ、子犬の横に静かに置いた。
「迷子になったのかね?かわいそうにねぇ。」
老婦人は、ゆっくりと子犬の頭に触れた。
彼は少しびっくりはしたが、逃げることはしなかった。
口だけは一生懸命動かしてはいたが。

きれいに平らげると、今度は眠くなってくる。
老婦人のそばはあたたかく、柔らかなバスタオルはとてもいい匂いがして
それにくるまれると、なぜかとても安心できた。
老婦人は笑いながら、
「うちの子になってもいいんだよ?」と言っていたのはほとんど夢の中ではあったが
尻尾を大きく振って応えたのだけは、なんとなく覚えていた。

それから二人の共同生活が始まった。

老婦人は独り暮らしだったが、ひっきりなしに人が訪れた。
彼女の話では、その人たちは「はんばいいん」という種族らしく
彼女の持っている「お金」というものが大好きらしい。
「お金」をみんな持って行かれると、彼女はとても困るらしいので
僕の仕事はその「はんばいいん」たちを追い払う事だ。
その代わり彼女は、僕の食事とお散歩と
あったかい寝床を用意してくれることになった。
足の少し不自由な彼女のお散歩は、僕のペースじゃなく
彼女に合わせるもので、「いい運動」というものになるらしい。
僕はすぐ彼女が大好きになった。

部屋の中に敷き詰められた新聞紙のがさがさもようやく外され
毎日通った河川の匂いに兄弟たちを探すのも、儀礼的になってしまった頃
事件が起きた。
毎朝良い匂いで目覚め、彼女の姿をみつけて挨拶をするのだか
今日はなんだか部屋が寒々しい。
僕は彼女の姿を探した。
まだ布団の中にいるらしい。
鼻先でちょんと顔をつついてみる。
薄く目を開けて何か言うのだが、聞き取れない。
なにか・・おかしい。
そうだ、匂いだ。いつもと違う。何か違う匂い。
僕は彼女のパジャマの袖をひっぱる。
だめだ・・。動かせない。
人間の手を借りなくちゃだめだ。
無力だった自分を、いなくなった兄弟たちの姿がふと頭をよぎる。
大事な僕の家族。
喪って・・たまるかっ!
僕は家を飛び出した。
走って走って走って走って
お散歩途中でいつも挨拶するヒゲ面の親父のところまで駆け抜けた。

呑気に家の前であくびをしている親父の前で激しく吠えた。
「なんだなんだ?」
びっくりしている親父が目を丸くしている。
僕は何度も吠えて、後ろを向いて駆けることを繰り返した。
しばらくきょとんとしていた親父も、
「シズさんのところのコタロウだよな?ついてゆくのか?」と車に乗り込んだ。
僕は急いでまた家に戻る。
すぐ後ろをヒゲ親父の車がついてきて、家の前につくなり飛び降りてきた。
「シズさん!シズさん!どうした!なにかあったのか?」
玄関をがたがたして鍵がかかっているので、庭から親父が入ってきた。
「すまんがあがるよ!コタロウどこだ?」
僕が顔を出すとすぐに親父が老婦人のところに駆けつけて声をかけた。
「シズさん!どうした?具合が悪いのか?起きられないのか?」
彼女がまた薄く目を開けて微かにうなづいた。
ヒゲ親父は見かけに似合わずてきぱきと救急車の手配をすると、
僕の頭を優しく撫でた。
「でかしたぞ。よく知らせてくれたな。大丈夫。シズさんは心臓が悪いから
きっと発作を起こしたんだな。」
直ぐに救急車のサイレンが近ずいてくる。
ヒゲ親父は外に出て救急隊員を誘導すると、大きな声で言った。
「シズさん、心配するな。コタロウは僕がしばらく預かるから。
後の事は気にしないで、元気になってもどってきてくれよ?。」

両の手を合わすようにした老婦人がストレッチャーに乗せられて搬送された。
その後ろでヒゲの親父と犬がいつまでも見送っている。
「お前すごいな。誰も出来ない事、したんだぞ?
人の命を、今救ったんだぞ?」
コタロウと名付けられた犬は静かに尻尾を振った。
「まあ、家族だからね。当然のことをしたまでさ。」
「お前もなかなかのもんだったよ。ちゃんとわかってくれたからね。」
ひとりと一匹は同時に顔を見つめ合った。
そして同時にふっと笑った。

僕が生き延びてこうしてここに来れたから、シズさんは死なないですんだのか。
それなら僕は生きてきたことは無意味なんかじゃない。
大事な人を守ることが出来たんだから。
シズさんが戻ってきたら、もっといっぱいお話をしよう。
そうだ、僕の兄弟の話もしよう。
美しかった夕日の話もしよう。
まるまるとした雀が僕のご飯をたべちゃった話もしよう。

家族なんだもの。
相棒なんだもの。

かけがえのない人なんだもの。

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takehiko

もうひとつのパズルの一片の物語です。
蛇足と思いつつも書かずにはいられませんでした。

by takehiko (2016-11-05 21:50) 

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