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君に捧ぐ歌 [創作]

いつもの通り夕方になると、僕の頭を撫でて彼は出かける。

部屋の空気が急に重くなった気がして、
しんとしたお部屋でお耳を澄ましていると
ひしひしと闇が迫ってくる気がする。

早く帰ってこないかな?
ずっと彼が出て行った扉を見つめていても、彼の笑顔は戻ってこない。

僕はまたこっそりとお外へと出かける。

大好きな野っ原を駆け抜けると
今まで大騒ぎしていたコオロギやスズムシが一斉に鳴き止んで
あちこちから飛び出してくる。
僕は少し愉快になって、
わざとがさがさと大きな音を立ててそこら中を走り回る。

空には静かな三日月。
ほんわかと野っ原を照らしている。

草の上に思いっきり手足を伸ばして寝転ぶと、
夜露が草の端《は》からきらきらと落ちてきた。
そのひとつひとつに三日月が映っている。
これをみんな拾って行けたらいいのになぁ。
そっと掬《すく》ってみても、
綺麗な球はその場で形を崩して僕の手を濡らすだけだった。

僕はがっかりして、そのまま寝転ぶ。
たちまちコオロギたちがまた賑やかに鳴き始めて、大合奏になる。
見上げた三日月は薄い雲に隠れて、野っ原が一瞬暗くなる。
すると今まで影の薄かった星が一斉にちかちか瞬《またた》き始めた。

「わぁ!綺麗だなぁ!」
あれが掴まえられたらいいのに。
思いっきり手を伸ばしても、僕の短い手は
おいでおいでと風で手招きしているススキの穂先までも届かない。

僕はしょんぼりとして立ち上がる。

もう一年前から僕は悩んでいた。
毎日毎日一生懸命考えた。

なのにもう『明日』なんだ。


彼は僕を選んで引き取ってくれた。

彼は僕の父親であり、母親であり親友だ。

暖かいお部屋と美味しいご飯と
何より心から慈しんで僕を大切にしてくれている。

僕のために夜もお仕事をしてくれ
僕を家族と言ってくれる。

どんなものも、どんな言葉も
僕の幸せな気持ち、彼を大切に想う気持ち、大好きだって言う気持ちも
相応《ふさわ》しくない気がしてくる。

世界一幸せだって言う事を、彼に伝えたいだけなのに。

僕はとぼとぼと家に戻って、濡れた体を拭いてベッドに潜り込む。

でもやっぱり眠れなくてむくりと起き出すと、
彼の机の上にあるクレヨンで、画用紙に彼のお顔を描いてゆく。

いっぱいいっぱい大好きの気持ちを込めて描く。
少しはみ出しちゃったけど、ちゃんと伝わるかな?。

本当は世界中のきらきらを全部あげても足りないんだけどな・・。

時間が経つのも忘れて、画用紙を埋め尽くしてゆく。
それを机の上の彼の目に付くところに置くと
やっと少し安心して、僕は眠りについた。

「ただいま。」
恐らく眠っている彼を起こさないように、青年は静かに扉を閉めた。

慣れない夜勤の仕事は辛いが、
それでもようやく自分の家に帰って来られるとホッとする。
直ぐにでも眠りたいが、食事もとらなくてはいけない。

ふとテーブルを見ると、画用紙が広げられている。
上にしたり横にしたり矯《た》めつ眇《すが》めつ眺めていると
ようやくこれは自分の顔だと気付いた。
その顔にかからないように、ぐねぐねと黒いのたくったものが囲んでいる。

「おやおや?これは驚いた。」
彼は嬉しそうに満面の微笑みを浮かべた。

その時眠っていた子がぱちりと目を開くと同時に、彼に跳びついてきた。

「おかえりなさい!」

「起こしてしまったね。ただいま。
これは君が描いたの?素敵だね」

「うん!おたんじょうびおめでとうなの!」

青年はびっくりした顔でそうだったね、とつぶやいた。
「ありがとう。すっかり忘れていたよ。よく覚えていたね」
所で、このお顔の周りは何だい?」

ええとね・・。
ちょっと下を向くと恥ずかしそうに彼は答えた。
「おとうさん おかあさん おたんじょうびおめでとう
ずっとずうっとだいすきだよ いつもいつまでも親友だよって書いたんだあ」


青年は彼をぎゅっと抱きしめると
彼が安心して静かに寝息を立てるまで、
愛おし気にいつまでも優しく背を撫で続けていた。




ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ

お久しぶりです。
今年もお誕生日企画で書かせていただきました。
年を追うごとに、感性が悪くなってしまうのを感じます。

少しでもあなたが笑顔でありますように。
少しでもあなたに幸せがありますように。
いつまでも自称友人の僕からのささやかな贈り物です。

生まれてきてくださったことに、心より感謝して。

お誕生日 おめでとうございます!


2022年11月5日    takehiko









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Xephonさんへの手紙 [創作]

僕らが出会ったのは、やはりここだった。
イェルクシェ君は僕に元気に挨拶をしてくれたね。
あれからもう15年も経ってしまった。

友情を育むのに時間はさして関係ないのかもしれないが
僕は毎日毎日君と語り合って
その稀有なる魂に触れるごとに、驚嘆と尊敬を持つようになっていった。
君ほど物事を深く突き詰め、純粋なまでに真っ直ぐな人間を知らなかった。
君ほど美しいものを見分ける力の強いものも、僕は知らなかった。

君と語り合う事で、どれほど僕は贅沢な時間を過ごさせてもらったんだろう。
そして、楽しい時には共に大笑いし
辛い時には共に悩み苦しみ
悲しい時には一緒に悲しんでくれたね。
君のすごいところは、真摯に相手に向き合い受け入れてくれたことだ。
自分の親でさえ出来なかった、僕自身をそのまま受け入れてくれたことは
どれほど僕を勇気づけ、どれほど僕を救ってくれた事だろう。
僕は僕のままでいいんだと、初めて僕は踏ん張ることが出来たんだ。

これほど長く一緒にいると、改めて言う事も少なくなってしまうが
いつも本当にありがとう。
君が僕にくれた言葉の半分にも満たないかもしれないが
僕も君に言おう。

どうか君は君のままでいてください。
怒っている君も、悲しんでいる君も、大笑いして子供のように転げまわっている君も
僕は素晴らしいと思うんだ。
それは磨かれた宝石のように、周りに美しい虹をつくる。
その虹を羅針盤にして、僕は今日も君と語らおう。

美しい四季も、香る花の便りも、美味しかった料理の話も
心躍る冒険譚も
この先ずっとずっと、君と一緒に分かち合い、歩いてゆきたい。

15年分の感謝と、15年分の尊敬を込めて。
親愛なるXephonさまに。

お誕生日おめでとうございます

令和元年 霜月五日   武彦

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小説 中編 『嵐のあと』 [創作]

ぽきん。
足元で枯れた枝を踏み折ったようだ。

どのくらい歩いていただろうか。
いつから歩いていただろうか。
心の中がざわざわして足を止めた。
僕はどこに行こうとしていたんだっけ。

左右を見渡しても上を見ても、白く厚い霧に覆われていて
足元すら白い靄でよく見えない。

ぶるっと身震いがしたが、寒いわけではない。
まるで体温と同じ温度のミルクに、心地よく浮いているような気分になる。
きっとおかあさんのお腹の中って、こんななんだろうな・・と考えて
おかあさんの顔を思い浮かべようとして何も思いだせず
ひどく疲れてしまって、考えることをやめた。

事の異常さで、心のどこかで警報がなっているのだが
夢かな・・と思うと、もう考えることも止めてしまった。

ひたすら疲れない足を前に進め、歩いてゆく。
「ねえ、どこに向かっているの?」
耳元で聞こえたのか、自分が考えたのか分からなかったが答えが口をついた。
「この先にゆくんだよ。」
「この先に何があるの?」
体の左側に微かな空気のゆらめきを感じ、横を向くと、
触れるか触れないかの近さで若い女性が、歩幅を合わせて歩いていた。
「僕は・・知らない。君は?」
「私も知らないわ。」
若い女性は親し気な笑顔で顔を覗き込んできた。
「やっぱり男前ね。私が解る?」
眼を閉じて思い出そうとして、また頭が痛くなって首を振った。
「ごめん。君の事おぼえていないや。」
まぁ・・。若い女性は大きくため息をついて、芝居じみて肩をすくめてみせた。
「仕方ないけど・・なんか悔しいものね。」
そしてくすくすと笑った。
「こっちを向いて頂戴。」
僕の前に立って道を遮ると、顔に両手を伸ばしてきた。
避けようか悩んでいる間に、彼女は少し背伸びをして頬に触れていた。
その手はやわらかく細くてひんやりしていた。

「あなたが覚えていなくても、私は覚えているわ。ずっと、ずっとね。」

眩暈を感じて目を閉じた。

「さあ、戻りなさい。あなたの時間はまだきていないわ。」
そう言うと、とんと肩を押されて僕はよろめいた。
慌てて目を開く。
霧に煙る林が宙に浮いていて、先ほどの女性がその縁で微笑んでいた。
「またね。いつもそばにいるからね?幸せになってね?」

落ちながら僕は泣いていた。
落ちながら思い出したのだ。あの顔は・・昔写真で見たんだ・・。
若い頃の・・女学生の頃のばあちゃんだ・・。
「ば、あ、ちゃん・・。ばあちゃんっ!ばあちゃーんっ!!」




ひどい痛みで叫びながら目を開いた。
「気が付いたぞ!男性救助!」
目の前でオレンジの救護隊が走り回り、赤色灯がくるくるあたりを点滅させている。
直ぐに酸素マスクがつけられタンカが持ち上げられた。
周りの景色が見える。
耳にはいったのは、機械の喧騒をついて叩きつける雨の音。
その雨に煙る中、
目を疑う光景が、いろんな方向からあてられた強いライトに浮かび上がる。
住宅街の裏の山が崩れて、ピンポイントで住み慣れた家を押しつぶしていた。
今見えるのは土にうずもれた、二階の屋根の一部だけだ。
救助隊が掘り起こしてくれて、自分を救出してくれたのだと気付く。

そうだ、ばあちゃんと夕食を食べていて
・・僕はさっさと二階にあがって、うとうとしていたんだった。
あがるまえに振り向くと、ばあちゃんがよっこらせと立ち上がって、
食事の洗い物をしていた。

ばあちゃんは・・?

寝かされていたところにシートが敷かれ、
雨よけにもなっていない簡易なテントが見えた。
僕が寝かされていた隣に、青いシートがかけられているふくらみがひとつあった。
他に誰も人がいない。
折からの強風にあおられて、ばたばたとばたつくシートから覗いたすき間に、
小さな手が出ていて黒い紙がくくりつけてあった。
『ばあちゃん・・・ばあちゃんだ・・待ってくれ・・そこにまだばあちゃんが・・』
必死にもがいても、体も声も縛られたように動かせなかった。
「僕はいいから、先にばあちゃんを助けてやってくれよーーうっ!!」
救急車の扉が締められ、サイレンが雨のしじまを縫って響き渡る。


明るい日差しが病室を柔らかく照らしている。
昨夜の嵐が夢のようだ。
体中が痛みと傷で腫れあがっても、
僕は現実感が感じられず、白い天井だけを見つめていた。
警察が来て祖母の悔みと、家は全壊したこと、
僕が生きていたことは奇跡だと告げて帰っていった。

幼い頃から走り回って虫取りをしていた裏の山が
大雨で崩れて襲い掛かってきたらしい。
大量の土砂と木が、すべるように二階にのしかかり
夏休みの宿題の工作のように、軽々と一階を潰した。
僕は二階の窓側にいたのと、ベッドとマットに挟まれたまま土に流されて
比較的浅い位置から見つかったらしい。
僕はそれだけ聞くとたまらずに、医師も看護師も止めるのも聞かず
点滴を自分で外し、病院を飛び出した。

この場所は僕が十年間ばあちゃんと暮らした場所だ。
その景色が一変していた。

父と母は十年前、夜中に喘息発作のおこした妹を病院へ連れて行った。
僕は八つだった。
寝ぼけまなこで、ひとり暮らしのこのばあちゃんちへ預けられた。

ちぇーっ・・と思ったんだ。
可愛い妹ばかりをちやほやして僕はおいてきぼりかよ、と。
その帰り道の事故だった。
居眠りのトラックに正面から追突され、乗っていたものは全員即死だった。
何もかもが変わったんだ、その時。
自分が持っているすべてを何もかも奪われたと思った。
楽しかった時間も、家も両親も・・。

世界は終わったと思ったんだ。
ばあちゃんを困らせて、泣かせたこともある。
「ばあちゃん・・ごめんよ・・。僕・・。」

僕は死神みたいだ。周りに死をもたらすしかない死神みたいだ。
山に沈んだ家のこんもりとした塊の前で、僕はへたり込んだ
涙すらでてこなかった。

見上げると、崩れた山の向こうの視界が開けて見える。
昨日の嵐に洗われたようなぴかぴかの青空に、
真っ白い雲が大急ぎで流れて行く。
自分が生きて来た十八年間すべてが、また音を立てて崩れ去り
飛び去ってゆく気持ちがした。

すかすかで、からっぽの僕。

想い出のつまったこの場所すら、この地上からなくなったんだ。
僕を産んでくれた両親。育ててくれたばあちゃん。
そんなわずかな記憶の形でさえ、僕にはもうないのだ。
この世界で僕はなんて孤独なんだろう。
僕のことを知らないモノばかりの世界で、
僕は本当に生きているのだろうか。

生きていていいのだろうか・・。


こんもりした瓦礫に目を落とすと、目の端に何か赤いものが動いた。
人か・・?
誰もいないと思って、火事場泥棒よろしく金目のものを物色しに来たのかもしれない。
こぶしを握り締めると、立ち上がってその人影をにらみつけた。
しばらく見ていると・・
・・あれ?女の子だ・・?
茶色系の制服らしきものの上に、赤いカーディガンを羽織っている。
こちらに気づいたらしく、手を振りながら走ってくる。

それが突然ふっと視界から消えて、僕は驚いて二、三歩前に足を踏み出した。
・・なんだ・・何かにつまづいて転んだらしい。
転んだまま少し足元をごそごそ探っていたが、
再び起き上がるとまたこちらに走ってきた。

「わぁー!すごいね!本当に生きているんだね!」
そう言うと、走ってきた勢いでどん、と腕を背に回わし思い切り抱きしめた。
思わずうっ・・と声が漏れる。激痛が足から頭のてっぺんまで貫いた。
「あっ・・ごめんごめん。つい・・。」
少女はぱっと手を放し、にこにこと見つめた。
中学生くらいだろうか、髪の毛は三つ編みにしてひとつに結ばれていた。
小柄で白い顔、決して細くはない弓型の眉が優しい曲線を描いていた。

「君・・だれ?何してるの、ここで?」
ようやく口をついたのはその言葉であった。
少女はむぅーと口を尖らせた。
「なに解らないの?私は直ぐに解ったのに!」
そして一字一句はっきりと言った。

「やだなぁ・・。お・に・い・ちゃんっ!」

僕は何度か口を開いて閉じる、という動作を繰り返した。
しばらくしてようやく声が出た。
「ア・・スカ・・なの・・・?」
少女は下からねめあげるようにして片目を瞑ると、
親指を立ててイエィ!とほほ笑んだ。


あの時アスカは思ったよりも重症な喘息と診断され、入院させられたのだ。
その準備と、預けた僕を迎えに行くために、
車を走らせていた時の事故だったのだ。
そのあとすぐに、アスカは子供を望んでいた遠い親戚の養女となった。
ばあちゃんは、兄妹がばらばらになることを最後まで反対したが
養父母は欲しいのは可愛い女の子、だったのだ。
しかも条件は、アスカに悲しいことを思い出せたくないので
今後一切こちらとは縁を切りたい、会えば混乱して懐かなくなるかもしれない
決して会わないでくれ、というものだった。
夫は働き盛りに病で亡くなり、
自分も持病を持っていて、いつどうなるかもわからぬばあちゃんは
この条件を結局飲むしかなかった。

『アスカもいなくなるの?』
僕はまだその時のばあちゃんの涙を覚えている。
『ごめんねぇ。ばあちゃんが元気ならずっとみんな一緒に暮らせたのになぁ』
ばあちゃんは僕にすがるように、
小さな身をもっと小さく縮めて、声を上げて子供のように泣きじゃくった。
ばあちゃんは頼りにしていたひとり息子と、その嫁と、
目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫娘とを
いっぺんにうしなったのだ。
『リョウタはばあちゃんと一緒に暮らそうねぇ。』
僕が大きく頷くと、ばあちゃんは涙を拭いて僕の手をぎゅっと握ったんだ。
『いつも一緒にいるからね?幸せになろうね?』


「おにいちゃん、聞いて?」
僕は別れてから一度もあったことのない妹に、昔の面影を探した。
でも浮かぶのはおかっぱ頭とくりくりした大きな目だけだ。
「お兄ちゃんには内緒にしていたけれど、私おばあちゃんと会っていたの。」
「えっ!?」
「勿論育ててくれた両親にも内緒。」
うふふ。とアスカはちょっとずるそうに笑って、口元に手を当てた。
「両親は小さい私は騙せてると思っていたでしょうけれど、甘い、甘い。
私が本当のおとうさんや、おかあさんや、
お兄ちゃんを忘れるわけないじゃん。」

僕も覚えてはいるが、
アスカの幸せのため・・というあちらの言い分を守って
子供心にも、アスカはもういないものとしていた。
勿論会いたいな、と思うことはあった。
元気でいるのかな?
もう小学校入っているな。
友達いっぱいできているかな?
泣いたりしていないかな・・?
季節ごとに思ったりしていたが、
会いに行く、という選択肢は僕の中にはなかった。

「両親には言わなかったけど、
大人になったら、絶対私お兄ちゃんのところに行くんだって決めてた。」
「私、もらわれっ子ってことはずっと解っていたわ。
父も母もすごく私に気を遣っていたの。
大事にもしてもらってる。
だから私はずっといい子をしていた。
でもすごく、おにいちゃんやおばあちゃんに会いたくてたまらなかった。」
アスカは真剣な顔をした。
「お友達の家にお泊りする時があってね?
一日多く嘘を言って、私おばあちゃんのところに来たの。
おばあちゃんはびっくりしたけど、
直ぐに顔を見て私だって解ってくれて、すごく喜んでくれた。
おばちゃんが心臓悪かったの、お兄ちゃん知ってた?」
僕は頷いた。
「でもいつも大丈夫だよ、って言ってたよ。」
「うん。私にもそう言ってた。
でもそれから何度もコッソリ会うようになってね?
おばあちゃんと話し合ったの。
その時におばあちゃんが、もし自分に何かあったら、
おにいちゃんを助けてほしいって。」
アスカが肩から斜めにかけた大きめのポーチから、大事そうに手紙を取り出した。
宛名に大きく『リョウタくんへ』と書いてある。
ばあちゃんの字だ。僕はそっと封をひらいた。



リョウタくんへ。

これを読んでいるという事は、きっとばあちゃんはもういないんだろうね。
アスカちゃんは素敵な娘さんになっていて、
リョウタくんのビックリのお顔が見られないのが残念です。
銀行にばあちゃんの実印と大事な書類、遺言書を預けてあります。
じいちゃんはあなたたち二人が、
二十歳になるまで困らないだけの資産を残してくれました。
それにリョウタくんとアスカちゃんのお父さんお母さんのお金もあります。
学費も生活費も、なんでもここから出してください。
アスカちゃんはあちらのおとうさんおかあさんに、
とても大事にしてもらっているようなので
ばあちゃんは心配はしていないですが、
リョウタくんはひとりぼっちになってしまいます。
ばあちゃんがいなくなったら、どうぞリョウタくんが寂しくないように
アスカちゃんは、沢山相談にのってあげてください。
たった二人きりの兄妹なのですから。

あなたたちに会えたことは、じいちゃんのところにお嫁入した事とおんなじくらい
ばあちゃんはしあわせだったですよ。
だからどうか、リョウタくん、アスカちゃん。
いっぱいしあわせになってください。
本当にたくさんありがとうね。
健康で元気でいてね?

ばあちゃんより




「僕は・・」
喉の底から声が絞り出すようにでた。
「僕は・・こんなの・・いらない。」
手紙を持つ手ががくがくと震えた。
その手をそっとアスカが握ってくれた。
「こんなのいらない・・。僕は・・ばあちゃんがいてくれたほうが・・ずっと・・。」
うんうん。とアスカが頷いた。
「そうだね。そうだね。」
混乱して焦点の合わない視界に、アスカの大きな瞳が潤んでいるのだけが見えた。

「僕は空っぽだ。もうなんにもないんだ。」
「おにいちゃん。大丈夫だよ。
おにいちゃんは空っぽなんかじゃないよ?。私がいるもの。
私と一緒にゆこう?一緒に暮らそうよ。お母さんたちだって解ってくれるよ。」
踏ん張っている大地がふいに消えたような気がして、
僕はぺったりとその場にへたり込んだ。
「なんにも僕にはなくなっちゃったんだ。
僕と一緒に生きていた人たち、住んでいた場所、想い出の場所もなんにもない・・。」
「おにいちゃん、おにいちゃん。
おにいちゃんは今生きているよ?
おにいちゃんはみんな覚えているのでしょう?
覚えていればなんにもなくならないよ?
それにこれからは私が一緒だから、その分だんだん増えてゆくんだよ?
楽しいことも辛いことも、みんなまとめて二人で積み重ねてゆこうよ。」

アスカは僕の頭をぎゅうっと抱きしめた。
「おにいちゃんはひとりなんかじゃないからね?」
頭の上でその声が優しく響いた。

ようやく僕の眼に涙が溢れた。
胸につかえていた固く大きいものが流れ出したのだ。
ばあちゃんの手紙を握りしめ、声をあげて泣いた。
僕が泣き止んで静かになるまで、アスカは忍耐強く僕の頭を、
優しくぽんぽんと手のひらで叩いて、落ち着かせようとしていた。
アスカの幼いながらの懸命の優しさが身に沁みて、
余計僕は涙を止めるのが難しかったが・・。


銀行には思った以上の貯えがあり、
名義も僕にすでに変えられており、
煩雑な書類の手続きもさしてすることもなく
ばあちゃんの保険金だけでも充分葬儀も、
小さいながらもアパートも借りることができた。

一緒に暮らせないと解るとアスカはかなりごねたが、
自分の事で、今までアスカと養父母たちが築いてきたものを壊すのは不本意だった。
「高校はもうすぐ卒業だし、
大学に行くお金も、もうばあちゃん用意してくれていたんだ。」
ばあちゃんの四十九日の法要で集まった時、
参列してくれたアスカとその養父母の前で、これからの事をきちんと話をした。

葬儀の時、びっくりするほど沢山の数の参列者をぬって
この養父母から声をかけられた。
「あなたを引き取れなかった事、
ずっとあなたにもおばあさまにも申し訳なく思っていたのよ。」
「でもおばあさまに、私たちはアスカちゃんだけでも元気に幸せに過ごしてゆけるのなら
それがありがたいのですよ。」と言われてね・・。

僕は頭を下げた。
それだけ聞けば、もう僕は充分だと思えた。
「僕とばあちゃんとの日々は、とても豊かでした。
僕は本当に幸せでした。
長い間アスカを大切にしてくださって、ばあちゃんも感謝しています。」
それを聞くと、養母はぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「大きなおばあさまでしたね・・。」

ばあちゃんは銀行の金庫に、自分の葬儀用の写真までちゃっかり入れてあった。
僕が夏休みに撮ったものだ。
ご近所の人達も手伝ってくれたが、
何もかも土に埋まった家から取り出せたものは、
二階に置いてあった僅かなアルバムの写真と
僕の学用品と数冊の本だけだった。

それからも学校の友達や先生や、近所のばあちゃんのお友達やら
沢山の人が関わって、いろんな面で助けの手を伸ばしてくれた。
『有難いねぇ』というばあちゃんの口癖が身に沁みた。
養父母も一緒に住むかい?と言ってくれはしたが、僕は丁寧に辞退した。
直ぐに働く事も考えたが、ばあちゃんが貯めていてくれたお金に甘えて
大学に行って、専門職を手に付けたらきっと将来長く役に立つと思えた。
今度は僕が誰のためになにか手伝える仕事がいい。
自分への未来投資だ。
これならばあちゃんも喜んでくれると信じる。

引っ越しの片づけを終えながら考える。

幸、不幸とはなんだろう。
僕は人生にたくさんのものを奪われた。
奪われてゆくものばかりが大事なものだと感じていた。
でも喪うたびに、僕は新しい物与えられていたんだ。

両親の代わりにばあちゃん。ばあちゃんの代わりにアスカ。
勿論それは、喪ったものの代わりにはならないことは解ってはいる。
その絆は、たったひとつ唯一のものだ。

でも僕が生きている限り、この絆はもっと増えてゆくだろう。
それにその喪われた絆も、消滅するわけじゃない。
僕の中に残って積み上げられて、
その上に地層のように重なり合って降り積もるんだ。

手元のスマホがちかちかとライトを点滅させていた。
ラインが来ていたらしい。

アスカだ。

開くと元気なスタンプと共に、近況を知らせてきていた。
このスマホも、養父母たちがアスカの連絡用にと買ってくれたものだ。
有難く使わせていただく。
まだ自立するには未熟者な僕だが、
いつかきっと僕を必要としてくれる人がいるはずだ。

それまでばあちゃん、踏ん張ってみるよ。

僕は久しぶりのちょっぴり笑顔で、
箪笥の上に鎮座している、大笑いしたばあちゃんの写真と、
その横の小さな家族写真に手を合わした。




「シズさん。」

忘れもしない懐かしい声だった。
「ただいま。マコトさん。」
にこにこと昔のままの優しい笑顔で、夫はこちらを見ている。
「よくがんばったね?お疲れ様。」
彼女の頬に少女のような赤味と笑顔がこぼれた。
「長い事お待たせしてしまいましたね。寂しい思いをされておりましたか?」
マコトは満面の笑みで答えた。
「いえいえ。頑張っているシズさんを拝見しているだけで、
こんなに楽しいことはありませんでしたよ。
二人でこの道を歩きたくてお待ちしていました。」

そこに足元を一頭の犬がまぶりついてきた。
「あら!コタロウも来てくれていたのね!」
コタロウは賢し気にぴんと尻尾をたてて、スキップでもしそうなくらいだ。
リョウタが来る数年前まで、独り暮らしのシズのところで長く相棒だった犬だ。
シズがしゃがんでぐりぐりと頭を撫でまわすと、
ぺったんこになって尻尾をちぎれそうに振りたくった。
そしてまた、ぴょんぴょんと横跳びでまとわりつく。
年をとって足をひきずるようになっていた姿はもうない。
思えば、シズも今まで辛かった体中の痛みがないことに気づく。

シズとマコトは顔を見合わせて笑い合った。
コタロウはふたりの先に立って、ふり向きふり向き霧の薄くなった道を歩く。

「マコトさんにお話ししたいことがいっぱい。」
シズは満足げにため息まじりに囁いた。
「まずマコトさんによく似た孫のリョウタくんのことね。
とってもとってもいい子なのよ?」

ふたりは光の中にゆっくりと消えていった。








  ΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨΨ

毎年あげているお誕生日企画です。
今年は家庭の事情もありまして、なんと肝心なお誕生日にあげられませんでした。
本当に申し訳ありません。

気を持たせてお待たせして、さあどうだっ!
というものでもなく・・・いやはやお恥ずかしいばかりです・・。

実はシズさんは僕の大好きなキャラクターのひとりで、この悲惨な最期は
不本意でなりません。
で、蛇足的なシーンを前後に入れさせていただきました。
ご笑納くださいませ。

遅れたからと言って
決して大事な友人の大切な日を、ないがしろに思っていたわけではありません。
でも、本当に申し訳ない。
毎年心から君のこの世に生まれてきた日を
とてもとても嬉しく思っています。

お誕生日、おめでとう!

どうぞこれからの日々が、君にとって豊かで心楽しい物でありますように。

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リヴリー小説 短編 『これが 僕』  [創作]

僕はみんなとは違う。
みんなのような美しい毛並みも
優しい声もでない。

僕は醜いから、一緒に笑い合う友達も
一緒に暮らす家族もいない。

僕は小さく小さくなって
暗い葉っぱの陰のほんの隙間から、元気に跳びまわるものたちを
毎日毎日そっと覗いて見ているだけ。
だってもし見つかったりしたら、きっと怖がられるか
ひどくいじめられてしまう。
僕のおとうさんが言ったんだもの。
「お前は醜い出来そこないだから、誰にも愛されない。
恥ずかしいからお前は外に出てはいけない。」って。

そのおとうさんも、もうお家に帰ってこなくなった。

僕はひとりぼっち。

仕方ないさ、僕は醜いできそこないなんだもの。

でもひとりぼっちは淋しくて、僕はこっそり外に出たんだ。
そしたらそこで見つけたんだ。

草原を元気に跳びまわるふわふわの茶色い生き物を。
眼はお空のような青色でキラキラしていて
走ったり急に停まったり、お空を見上げて、コロンと転がったり
大きな声で歌ったり笑ったり、なんて美しくて楽しい生き物だろう!

見ているだけで、僕は楽しくなったんだ。
僕は毎日昼も夜も、雨の日もお天気の日も
その草原で、この生き物が来るのを草の陰で待ち続けた。


時々その生き物は、彼よりも少し大きいけど
赤いもしゃもしゃした生き物も連れてくる。
この生き物にはぴかぴかしたくちばしがあって、優しい声で話をしていた。
この生き物は、ふたりになるともっと元気に草原を走り回って、
大きな声で笑い合っていた。

今日も僕はこっそりこのふたりから隠れて、様子をみていたんだ。

するとさっきまでいた茶色のほうが見当たらなくなったの。
赤い方がのんびりあちこちを見ながら、いったりきたりしている。
僕はついそーっと頭をのぞかせて、茶色のふわふわを探したんだ。

「やあ!こんにちはっ!」
後ろのすぐ近いところから声をかけられて、僕は飛び上がった。
「僕はイェルクッシェ!元気なトネビだよ!」
「君はいつもここにいるね!いっしょに遊ぼうよ!」
僕は慌てて葉っぱで顔を隠した。
「ごめんね・・ごめんね・・?わざとじゃないんだ。
君たちがあまりに楽しそうで・・。」
僕が後ずさりをしながら逃げようとすると、イェルクッシェくんは首をかしげたんだ。
「どうして謝るんだい?一緒に遊ぶと楽しいよ?」
僕は泣きそうになって叫んだ。
「だめだよ、だめだよ!僕はとっても醜いから、ここから出ちゃダメなんだよ!」
その時草原から赤いもしゃもしゃした方も、そばに来てにこにこして言ったんだ。
「醜い?誰が言ったの?君はとっても素敵じゃないか!」
「僕はノド。ムシチョウだよ。」

ステキ?
こんな優しい声をかけてもらったのも、ステキなんて言われたのも
僕は初めてだったんだ。

あっというまに僕はイェルクッシェくんとノドくんに両方から挟まれて
一緒に走っていたんだ。

キラキラしたお日様の下を、全力で走るってなんて心地いいんだろう!
草原の草がぱしぱしと柔らかくお腹や足に当たって音を立てる。
その度に昨日の雨で、葉っぱにたまったしずくが、
きらきらと虹色に輝いて僕らを包むんだ。
イェルクッシェくんが上を向いてアハハハハ!って笑って
ノドくんがきゃーーっ!って歓声をあげると
むずむずして、僕も力いっぱい声をあげてみた。

きしむような金属音。


僕ははっと口を閉じて立ち止まる。

大変な事をしてしまった・・。
大きな声を出すなんて。
僕はうずくまって目を閉じた。
きっとイェルクッシェくんもノドくんも耳を塞いで言うんだ。
『なんてひどい音だ!お前なんてあっちに行け!』
そう。おとうさんみたいに・・。
折角オトモダチになれたかもしれないのに・・。
台無しにしてしまった・・。

急に僕が停まったせいで、イェルクッシェくんもノドくんもころころと前に転がった。
イェルクッシェくんは転がりながら、そのまましゅたん!と言って立ち上がって
体操の選手のように両手を挙げた。
ノドくんはもごもごと起き上げると、そのイェルクッシェ君を見て
ぱちぱちと手を叩いて目を丸くしていた。
「すごいなぁ!イェルクッシェくんはかっこいいなぁ!」
そしてふたりはにこにこして僕のところに戻ってきたんだ。

「あんなふうにすぐ止まれるなんて、君はすごいねぇ!」
「大きな声出るんだね!とっても大きなオルゴールみたいだね!」
「僕は・・」
僕は顔を上げることも出来ずに言った
「こんなに醜くてひどい声なのに、君たちは友達でいてくれるの?」
ふたりはぽかんとした顔で、顔を見合わせました。
「君はおかしなことを言うねぇ。」
「僕は君が醜いとも思わないし、ひどい声だとも思わないよ?」
ふたりは一緒ににこにこと頷き合いました。

「君は君だよ。」
「そうだよ、君はそのままで君じゃないか。
僕は君の声も姿も素敵だと思うし、好きだよ?
僕らはもう友達だよ!」
今度は僕がぽかんと二人の顔をみつめました。
「僕のままで・・いいの・・?」
ふたりは声を合わせて言いました。
「もっちろんっ!」

これが僕。
つるつるの硬い鎧のようなものに覆われた姿。
鋭い爪のついた長すぎる手足。
おとうさんができそこないと言ったけれど
そうなんだ、これが僕なんだ。
沢山の言葉の刃で切り付けられ、生きて行くことも否定され
誰にも愛されることも、愛することもない。

いや・・。違う。

僕であることを僕が認めてあげなかったんだ。
認めてあげよう。
僕のことを友達と呼んで、僕のままでいいって認めてくれるものがいる。

胸の奥が張り裂けそうになった。
初めて悲しみではなく、溢れだす歓びで。

イェルクッシェくんがぎゅうっと僕を抱きしめた。
ノドくんがその上からぎゅうっとふたりごと抱きしめた。

「あ・・りが・・とう・・。」

やっとひとことそう答えられた。

イェルクッシェくんがあはははははと上を向いて笑った。
ノドくんがうふふふふと笑った。

「僕はぷろとたいぷmしりーず 6号」

「長い名前だねぇ!ぷろとくんだね!よろしくね?」

こうして僕らは出合い、長く長くお友達になったんだ。


今日はそんな僕にとって特別な日。
大切なお友達の生まれた日なんだ。
それと、僕のお誕生日が解らないって言ったら
イェルクッシェくんがぽんと手を叩いて、
じゃあ僕と一緒にしようよ!って言ってくれたんだ。
だから今日は僕とイェルクッシェくんのお祝いをするんだと
ノドくんやふたりのお友達のリヴリーたちが
大騒ぎでお誕生日の用意してくれているんだ。

ホントは内緒だけど、僕はプレゼントや御馳走よりも
イェルクッシェくんやノドくんの笑顔を見ている方が
ずっとずっと幸せな気持ちになるんだ。

最近僕はとても眠くなって、あんまり長く動けなくなってしまったけど
胸の奥深く溢れてくる歓びは
今もずっとずっと続いているんだよ。

僕はもうひとりぼっちじゃない。

イェルクッシェくん、お誕生日おめでとう!
生まれてきてくれてほんとうにありがとう。


どんな時もいつまでも、僕は君たちの友達だからね?



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ギンモクセイ [創作]

「あ・・っ」
思わず声が漏れた。
漕ぎだしたペダルがふっと抵抗をしなくなった。
チェーンが外れたのか、からからと音を立てながら自転車は動かなくなった。
あああ・・何もこんな時に・・。
今にも降り出しそうな重い曇天の下、緊急の夜勤に呼び出され
しばらく使っていなかった自転車を引っ張り出して、
30分の道のりを飛ばしていたのだ。
アキは自転車から降りるとかがみこんでため息をついた。
「もう・・信じられない・・・。」
見事にチェーンがゆるゆると外れているのがわかった。
アキは入れ込もうとチェーンを引っ張って何度もチャレンジしたが
錆びついてでもいるのか、どうしてもうまくかみ合わない。
「もうっ!!」アキはべとべとした手を持っていたテッシュで拭いたが
気持ちの悪さは拭えない。
ポケットからスマホを取り出すと、
職場の介護施設に少し遅くなるかもしれない状況を報告し
閉じようとして一番上にある名前のところで手がとまる。

アキの5年来の恋人のユウだ。
そのまま電話を繋ぐ。
「どうした、アキ?夜勤に行くんじゃなかったの?」
ワンコールもせずにユウの声が耳を打つ。
「自転車のチェーンが外れて入れられないの。」
「えっ?大丈夫?怪我はない?」
慌てるさまが目に浮かんで、なんだかほっこりと胸があったかくなる。
「大丈夫よ。仕方無いから自転車おいてこのまま仕事に行くわ。」
しばらく間が開いた。
「僕が迎えにゆければいいんだけど・・。ごめん。今仕事の打ち合わせで・・。」
最後の方の言葉がつっかえるように言いよどむ。

あれ?っとアキは思った。

前会った時、今日は私の誕生日なので仕事入れないよ、って言っていたのに。
私に急に夜勤の連絡が来て
会えなくなっちゃったと連絡したのはほんの2時間ほど前なのに・・。
「いいのよ。大通りに出ればタクシー拾えるし・・。行ってきますね?」
明らかにホッとしたような声が「いってらっしゃい」と何の余韻もなく電話は切れた。

なんかユウ君らしくない・・変。

急に風が冷たくなり、ぽつぽつと雨が降ってきた。
西からの集中豪雨のニュースも流れていたので、
アキは慌てて自転車を邪魔にならないところに鍵で繋いで、道を急いだ。
大通りに出た頃には、雨はどしゃ降り。
たちまち体が冷え切ってくる。
こんなびしょびしょじゃタクシーも乗せてくれないわね・・。
あと20分も歩けば職場につく。
意を決して、アキは雨の中を走りだした。

ほの暗い街には点々と様変わりする店舗やレストランが、
ぽつりぽつりと柔らかな淡い光を灯して、雨の街ににじんでいる。
半数はシャッターが降りてしまっている過疎の街ではある。
その中のひとつの喫茶店は、アキとユウがよく時間を忘れて話し込む
窓の大きなお気に入りの場所だ。
職場へは通りが違うのでいつもは通らないのだが、大雨を出来るだけ避けて
アキは軒の連なる店舗街へ走りこんだ。
ついいつもの喫茶店へ目をむけると、懐かしい顔が目に入った。

ユウだ。

あら・・?こんなところでお仕事の打ち合わせ・・?

ユウはかがみこんで机上の書きこみを懸命に読んでいるようだ。
向かいには若い女性が座って、やはり同じように同じ書きこみをのぞき込んでいる。
狭い机の上で頭を突き合わせているので、触れ合うように顔を寄せて見える。
ユウの口が動き、それに応えて女性が顔をあげて笑顔を見せた。

アキの顔から血の気が失せた。
女性はアキの高校から親友のマキだった。
「どういう・・こと・・?」
頭の中が真っ白になった。
ユウ君・・仕事って・・私に嘘をついて・・。
なんでよりによって・・マキなの・・?
疑いは妄想を生み、膨らんでゆく。

私・・ずっと・・騙されていたの・・・?

20代後半の5年というのは、微妙な時期だ。
当然、結婚というのも視野にいれる。
友人たちも次々に嫁ぎ、親からのそろそろ・・とのプレッシャーも大きい。
ユウの態度から自分もいつかユウと結婚して・・と考えていた。
今思うと、それとなくそういう話題をふってみても、
なんとなくはぐらかされていた気がする。

それが・・こういうことだったの・・・?

アキは逃げるように窓から離れた。
怒りよりも悲しみが胸を覆った。
ひとりよがりで想っていたことなのかと、むしろ恥ずかしかった。
顔を打つ雨が激しくて、もう雨だか涙だか鼻水だか、自分でもわからなくなった。

気が付くと職場についていた。
大きなバスタオルを掴んでロッカーに駆け込み、
置いてある替えの下着と制服に着替えると
真っ赤に泣きはらした目が鏡に映った。

「大丈夫。今だけ頑張ろう。今だけ、今だけ何も考えない。」

頬をぱんぱんと出場前のプロレスラーのように叩き、
よっしゃあ!とアキはロッカールームを出た。
直ぐにスタッフルームに行くと、真剣な面持ちで先輩が立っている。
「何か急変ですか・・?」
アキが尋ねると、

「北の505号室のスズキさん。アキさんの担当ですね?」
「はい。」
介護士になって最初の時からずっと担当していた利用者さんだ。
孫のようにアキのことを思ってくれているのか、
ずっと変わりなく可愛がってくれていた。
アキは寒さだけでなく、心底震えた。
スズキのおばあちゃん・・昨日まであんなに元気だったのに・・なにかあったの・・?
「すぐに行ってください。」
「はいっ!」

アキがゆくといつも開いている部屋の扉が閉まっている。
ここは5人部屋なのだが、今はスズキのおばあちゃんとタカハシさんが暮らしている。
灯りも消えている。
アキはおそるおそるドアをノックした。
「スズキさん、タカハシさん。アキです。はいりますよ?」
中に入るとカーテンが皆閉じられている。
アキは入口の電気のスッイチを入れて、
一番手前のスズキのおばあちゃんのカーテンの中に入った。

彼女はベッドに寝ていた。

「スズキさん・・?どうかなさいました?アキですよ?」
スズキさんの閉じた瞼と口元がぴくぴくと痙攣した。
「スズキさん・・?」
アキが手をそっと握ると、スズキのおばあちゃんの目がぱっちりと開いた。

「アーキちゃん!おめでとーうっ!」

アキはぽかんとスズキのおばあちゃんの顔を見つめた。

スズキのおばあちゃんはむっくり起き上がると、アキに抱きついた。
「アーキちゃん、お誕生日、おめでとーうっ!!」

「え?え?」

その時閉まっていたカーテンが音を立てて開かれた。
「アキさん、ハッピーバースデーイッ!!」

アキはびっくりして飛び上がった!
開いたカーテンの後ろには、アキが担当している利用者さんが杖で支えられ
車椅子を押され、皆、手に手におめでとうと書かれたカードを持ち
手の空いたスタッフと共ににこにこと集まっていた。
一番後ろには先ほどの先輩が、くすくす笑っている。

「なに・・?どうして・・?ええーーっ?!」
アキはきょろきょろと周りを見渡した。
みんなが一斉に笑う。

「アキさんのお誕生日、みんなで何かしたいねと言っていたの。」
タカハシさんが笑顔で話した。
「スタッフの方々が協力してくれたのよ?」

その時、扉が開きみんなが一斉に向き直った。

「ユウ君・・・?」

彼は一張羅のスーツを着込んで手に赤い薔薇の花束を持って立っている。

ぎくしゃくと彼はアキに近付くと、目の前で片膝をついてアキの目をみつめた。

「アキさん。僕はあなたと幸せな家庭を築きたい。
どうか、僕と結婚してくれませんか?」

え?え?なにこれ?プロポーズ・・?

アキははるか遠くの方で自分の声を聞いた。

「もちろん。喜んで・・」

うおおおおおーーと外野の方から声が上がった。
扉の向こうで親友のマキがにこにことこちらを見ている。

そうか・・この打ち合わせを二人でしていたのね・・。
こんなこと、ユウ君じゃ考えないもの・・。
マキの入れ知恵ね・・。

胸ポケットから取り出した小さな四角い箱から指輪を出すと
ユウはアキの指に細い指輪をはめた。

「今はまだこれしかできないけど、絶対幸せになろうね?」
アキの目からぽろぽろとあったかい涙が溢れた。
頷くたびにそれが胸に落ちた。

スズキのおばあちゃんが自分も涙を流しながらそれを見ていた。

「アキちゃんはいい子だからねぇ。みんな幸せになって欲しいんだよ。」
そして笑顔のまま目を閉じた。
「こんな幸せな日に立ち会えて、ほんとに今日はいい日だねぇ!」

しばらくしてぽんぽんと先輩が手を鳴らした。
「はーい。お開きねー。みなさんお部屋に戻ってくださいね?
アキさん、呼び出してごめんね。
今日は本当は予定通りお休みなのよ。
ユウさんとこのままお帰りなさいね。
明日は早番、忘れないでね?」

「ありがとうございます。みなさんほんとうにありがとう。
私、今日の事ずっと忘れないね?」

そしてマキの方に走り寄ると、きゅうっと抱きしめた。
「ずっと親友でいてね?ありがとうマキ。」
マキも泣きながらぎゅうっと抱きしめた。
「お幸せにね。」

「ユウ君。私すごく嬉しいわ。」
ユウの車に乗せられて、アキは自宅に着替えに向かっていた。
「これからが始まりだよ。僕は君のご両親にも許可をもらいに行かなくちゃ・・。
アキのお父さん怖そうだもんなぁ・・。でもアキをもらうためだ、頑張らなくちゃ。」
「ユウ君のご両親のところにもゆかなくちゃね。」
「それは任せとけ!もう許可はもらってる。」
「ええーー!私よりも先に?」
「うん。どうしても店を継がせたいというからさ、それの説得に手間取ったよ。
アキは今の仕事に誇りをもっているからね。」
ちゃんと考えていてくれたのね、
私の事真剣に・・。
大丈夫だわ、私。
ユウ君となら私は私らしく、ユウくんはユウ君らしく二人で生きて行ける。

雨はいつの間にか通り過ぎて
雲の間にまあるい月がまぶしいくらいに差し込んで
車の運転をするユウの横顔を照らしていた。
信号で停まると、雨に濡れたアスファルトに反射して賑やかな色が混じり合う。
アキが窓を開くと、光の届かない夜の闇に白い小さな花が浮かび上がる。
ギンモクセイだ。
幽かな甘やかな香りが車の中まで運ばれてきた。















ううーん。
書きたいことはいろいろあれども、
なんともはや・・。

あれもこれもと思ったのですが
すべて座礁・・。

で、何が言いたいの?ということで
必ずきっと、今はどしゃ降りの雨の中であっても
君は幸せになれるということ。
ならない訳はない、ということ。

だって君は何よりも素晴らしい
魂の炎を胸の奥に燃やしているのだもの。

お誕生日、おめでとう!

君の人生にいつも光が共にあるように。

2017年11月5日
我が友、Xephonさんへ。


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小説 中編 『ジグゾーパズルの一片』 [創作]

彼を突き動かしたものは『怒り』であった。
あたたかい場所を奪われた怒り。
お腹いっぱいの満足な眠りを奪われた怒り。
そして何より今のこの理不尽な暴力ともいえる
訳の分からない真っ暗な状況に閉じ込められるという怒り。

きっとよくないことだという予感はあった。
震えて救いを求めるような兄弟たちの鼻声も、
自分は決してたてるまいと、揺れ動く暗闇の中で四肢を踏ん張って耐えていた。
ようやく車から降ろされて、箱を開けられたとき
彼は兄弟たちをかばうように、自分たちを見下ろす人間をにらみつけた。
「元気でな。いい人に拾われろよ。」
人間は身勝手だ。
散々良い想いをさせてから、自分がいらなくなると余計なものとして捨てる。
それなら最初からなぜ僕らを産ませた。
苦しみをより苦しませるために、幸せな時を与えたのか。
それなら最初から関りを持たせるな。

人間が箱を空けて立ち去ると
ずんと寒さが落ちてきた。
寄せ合っても互いの冷たさが新たな震えを呼んだ。
これ以上ここにいては体力が失われて動けなくなる。
彼は箱に体当たりをしてみた。
箱は少しずれただけだった。
縁にわずかにかかる足でよじ登ろうとするが、何度も背から落ちてしまう。
「諦めない!ここで出来なければ生きて行けなくなるんだ!」
狭い箱の中で、思い切り助走をつけて縁に向かって飛び乗った。
腹のところに縁の角が食い込んで、鋭い痛みを感じたが
彼は後ろ脚をばたつかせてようやく箱の牢獄から這い出すことが出来た。
箱の中から兄弟たちの鳴き声が聞こえた。
どうにか連れ出せないか、何度も箱を調べても噛みついても
箱はピクリともしない。
彼は川べりまで降りるとたらふく水を飲んだ。
みんなにも飲ませてやりたい・・。
胸の大きな痛みとつかえが、涙となって溢れてくるようだった。

なんて・・無力なちっぽけな存在なんだろう。
生きていようが死んでしまおうが、誰も気づかない何も変わらない。
何のために?そんなこと知るもんか。
僕は生きている。まだ生きているんだ。
僕は僕が生きると決めたんだ。

彼は丈高い枯れた草原を歩き始めた。
川を外れると住宅街があり、狭苦しい家々の立ち並ぶその向こうは
川の流れよりも早い自動車が、列をなして同じ方向へ流れて行く。
ふと彼は足を止めて、鼻を空に向けた。
食べるものの匂い。
彼はふらつく足で、その匂いがする一軒の家の前に辿り着いた。
用心深く、ゆっくり垣根の方から中を窺う。
小さな老婦人が、背を丸めて何やら食事を作っているのが
明け放した庭側の窓からみえた。
どうやら焼いているお肉の煙を外に出そうと窓を開けているらしい。
彼はその後ろ姿を凝視しながら、一歩一歩と近ずいて行く。
自然にあふれたよだれが、ぽたりぽたりと地面に落ちるのも気づかない。
老婦人が肉を皿に盛ると、振り返ってテーブルに置こうとした・・
と、彼女は今まさに窓から足を家に踏み込もうとしている小さな犬に気が付いた。
「ぶたれる!逃げなくちゃ!」
彼は腰は引けているのだが、足が勝手に前に進んでしまう。
老婦人はそんな彼を驚いたように見つめたが、すぐにまた後ろを向いた。
そして棚から小さな皿を取り出すと、盛り付けた食事を少し取り分けた。
「なんとまぁ。かわいらしいお客さん。お腹が空いているんだね?」
彼女は静かに少し離れたところにその小皿を置いた。
「おいで。たんと召し上がり。」
彼はおそるおそるその小皿に近付くと、老婦人の方を見ながら一口食べて、
さっと後ろに飛びのいた。
口の中にひろがる温かさ・・。それが胸に落ち腹に落ちてゆく。
ああ・・うまいなぁ。
そしてもう一度小皿に近付き、今度は顔を埋めるようにして貪り食った。

それを見て老婦人はそっと冷蔵庫から出した牛乳を鍋にかけて温めた。
すこし冷ますと、別に小皿にそれを注ぎ、子犬の横に静かに置いた。
「迷子になったのかね?かわいそうにねぇ。」
老婦人は、ゆっくりと子犬の頭に触れた。
彼は少しびっくりはしたが、逃げることはしなかった。
口だけは一生懸命動かしてはいたが。

きれいに平らげると、今度は眠くなってくる。
老婦人のそばはあたたかく、柔らかなバスタオルはとてもいい匂いがして
それにくるまれると、なぜかとても安心できた。
老婦人は笑いながら、
「うちの子になってもいいんだよ?」と言っていたのはほとんど夢の中ではあったが
尻尾を大きく振って応えたのだけは、なんとなく覚えていた。

それから二人の共同生活が始まった。

老婦人は独り暮らしだったが、ひっきりなしに人が訪れた。
彼女の話では、その人たちは「はんばいいん」という種族らしく
彼女の持っている「お金」というものが大好きらしい。
「お金」をみんな持って行かれると、彼女はとても困るらしいので
僕の仕事はその「はんばいいん」たちを追い払う事だ。
その代わり彼女は、僕の食事とお散歩と
あったかい寝床を用意してくれることになった。
足の少し不自由な彼女のお散歩は、僕のペースじゃなく
彼女に合わせるもので、「いい運動」というものになるらしい。
僕はすぐ彼女が大好きになった。

部屋の中に敷き詰められた新聞紙のがさがさもようやく外され
毎日通った河川の匂いに兄弟たちを探すのも、儀礼的になってしまった頃
事件が起きた。
毎朝良い匂いで目覚め、彼女の姿をみつけて挨拶をするのだか
今日はなんだか部屋が寒々しい。
僕は彼女の姿を探した。
まだ布団の中にいるらしい。
鼻先でちょんと顔をつついてみる。
薄く目を開けて何か言うのだが、聞き取れない。
なにか・・おかしい。
そうだ、匂いだ。いつもと違う。何か違う匂い。
僕は彼女のパジャマの袖をひっぱる。
だめだ・・。動かせない。
人間の手を借りなくちゃだめだ。
無力だった自分を、いなくなった兄弟たちの姿がふと頭をよぎる。
大事な僕の家族。
喪って・・たまるかっ!
僕は家を飛び出した。
走って走って走って走って
お散歩途中でいつも挨拶するヒゲ面の親父のところまで駆け抜けた。

呑気に家の前であくびをしている親父の前で激しく吠えた。
「なんだなんだ?」
びっくりしている親父が目を丸くしている。
僕は何度も吠えて、後ろを向いて駆けることを繰り返した。
しばらくきょとんとしていた親父も、
「シズさんのところのコタロウだよな?ついてゆくのか?」と車に乗り込んだ。
僕は急いでまた家に戻る。
すぐ後ろをヒゲ親父の車がついてきて、家の前につくなり飛び降りてきた。
「シズさん!シズさん!どうした!なにかあったのか?」
玄関をがたがたして鍵がかかっているので、庭から親父が入ってきた。
「すまんがあがるよ!コタロウどこだ?」
僕が顔を出すとすぐに親父が老婦人のところに駆けつけて声をかけた。
「シズさん!どうした?具合が悪いのか?起きられないのか?」
彼女がまた薄く目を開けて微かにうなづいた。
ヒゲ親父は見かけに似合わずてきぱきと救急車の手配をすると、
僕の頭を優しく撫でた。
「でかしたぞ。よく知らせてくれたな。大丈夫。シズさんは心臓が悪いから
きっと発作を起こしたんだな。」
直ぐに救急車のサイレンが近ずいてくる。
ヒゲ親父は外に出て救急隊員を誘導すると、大きな声で言った。
「シズさん、心配するな。コタロウは僕がしばらく預かるから。
後の事は気にしないで、元気になってもどってきてくれよ?。」

両の手を合わすようにした老婦人がストレッチャーに乗せられて搬送された。
その後ろでヒゲの親父と犬がいつまでも見送っている。
「お前すごいな。誰も出来ない事、したんだぞ?
人の命を、今救ったんだぞ?」
コタロウと名付けられた犬は静かに尻尾を振った。
「まあ、家族だからね。当然のことをしたまでさ。」
「お前もなかなかのもんだったよ。ちゃんとわかってくれたからね。」
ひとりと一匹は同時に顔を見つめ合った。
そして同時にふっと笑った。

僕が生き延びてこうしてここに来れたから、シズさんは死なないですんだのか。
それなら僕は生きてきたことは無意味なんかじゃない。
大事な人を守ることが出来たんだから。
シズさんが戻ってきたら、もっといっぱいお話をしよう。
そうだ、僕の兄弟の話もしよう。
美しかった夕日の話もしよう。
まるまるとした雀が僕のご飯をたべちゃった話もしよう。

家族なんだもの。
相棒なんだもの。

かけがえのない人なんだもの。

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小説 中編 『ジグゾーパズル』 [創作]

温かくて安全な「おかあさん」のところから、
僕たち兄弟は次々と不思議な匂いのする、狭くて四角い場所に入れられて
直ぐにふたを閉められた。
べりべりと大きな音がして、四角い箱の隙間から見えていた明かりが
次々に塞がれてゆく。
僕たちはなるべく箱の真ん中によって、身を寄せ合った。
直ぐに持ち上げられる感覚がして、外に連れて行かれた。
初めての匂い。湿った土の匂い。
僕らは人間というものと暮らしていた。
この人間が僕らのおかあさんに食べるものを運んできていた。

おかあさんはどうしているのかな? 
おかあさんは知っているのかな?

一度この人間が僕を持ち上げようとしたとき、
おかあさんが低い声で怒ったのを僕は知っている。
その時この人間はおかあさんの頭を、履いていた履物でぶったんだ。
それから僕は煙たい嫌な匂いのするこの人間が来ると
直ぐに隠れるようにしたんだ。
今回はぐっすり眠っていて、つい油断しちゃったんだな。
ふわふわ動いていた箱は、大きな音のする機械の中に人間と一緒に入れられると
低い鳴き声をあげながら、真横に走り出した。

僕らは身を寄せ合い、吐きそうなのを我慢して震えていた。
体が箱の中で大きくバウンドすると、大きな機械は走るのを止めた。
お水が沢山流れる音がする。
僕らの箱は持ち上げられると、地面におかれた。
草と土のいい匂いとお水の匂い。いろんな生き物の匂いがする。
べりべりとまた大きな音がすると、箱の上が開けられて、
人間の大きな姿がいっぱいに広がった。
「元気でな。いい人に拾われろよ。」
人間はそう言うと、そのまま大きな機械のところに行き、そのまま行ってしまった。

おかあさーん。
おかあさーん。
ここは寒いよ。
お腹が空いたよ。
おかあさーん。

僕らは互いにくっついて暖を取りながら震えていた。
しばらくすると一番大きな兄弟が、箱からようやく前足をかけて外に転がり落ちた。
いかないで。おいてゆかないで。
僕も
おそとにゆきたいよ。
おかあさんのところに帰りたいよ。
しばらく箱の周りをくるくるしていた彼は、やがていなくなった。
寒くてひもじくて怖い長い長い時間。
残された兄弟たちはもう鳴く元気もなくなっていた。

喉が渇いてお腹が空いて、目を開けるのも億劫なころ、
足音が沢山聞こえてきた。
人間が来た。
5人ほどだろうか、耳障りな声に僕はますます箱の中で身をすくめた。
「おい、犬がいる。捨て犬だ。」
ひとりが頓狂なこえをあげた。
「今時段ボールかよー。」
「保健所つれてゆけよ!薬殺で楽に死なせてもらえるぜ。」
「もう死んでんじゃね?」
ひとりの少年が大声で笑いながら、段ボールを蹴飛ばした。
もうひとりも歓声をあげて、続いて蹴り上げた。
ざりざりざりと音を立てて、段ボールは川に滑り落ちてゆく。
段ボールごと、僕らは川に浮いていた。
川の流れは速く、段ボールはくるくると回りながら下流へと流されてゆく。
少年たちはしばらく見ていたが、そのまま新しいゲームの話をしながら行ってしまった。

川の流れに翻弄されながら段ボールは速さを増し、川の中腹まで僕たちを運んでゆく。
段ボールの箱はすでに原型を留めることも出来ずに、急速に水の中に沈んでゆく。
あっという間に冷たい川の水に、僕たちを放りこんだ。
懸命に手足を動かす。
前の方に流れていた兄弟の頭がひとつ沈み、またひとつ沈んで浮いてこない。
それを横目に見ながら、ただ懸命に痺れた四肢を動かそうともがいていた。

どうして・・?
僕がなんで・・?
おかあさん、おかあさん、おかあさーん・・。
もう・・つかれたなぁ・・。

そう思った時に、不意に体が軽くなった。

おかあさん・・。怖い夢を・・みたんだよ・・?

そうつぶやくと、彼は意識を喪ってしまった。



今日は早々に仕事を切り上げて、彼は家路を急いでいた。
「カナデちゃんは喜んでくれるかなぁ・・。」
手には大きなリボンのかけられたぬいぐるみの箱がある。
娘の5回目の誕生日。
目に入れても痛くない、という意味を彼は娘が出来てから初めて味わった。
笑うと天使。泣いてもかわいい。
寝ていてもこんなかわいい子がいるのだろうかと見惚れてしまう。
そんな様子を妻はいつもおかしいと笑う。
その妻も、今日は大きなチョコレートケーキを作るんだと言って、
朝から気合が入っている。
川から吹き上げてくる風はもうすっかり冷たくなって
秋から冬の始まりをそろそろ感じさせる。
首をすくめて何気なく川に目をやると、
彼はその小さな頭が浮き沈みしているのを見てしまった。
「犬だ!」
「なんてことだ。まだ子犬じゃないか。」
彼は川べりまで走って降りて行く。
川の真ん中あたりの枝ような漂流物に子犬は引っかかっている。
それもすぐに外れてしまいそうだ。
彼は上着とズボンと、靴と靴下を脱ぎ捨てると、
荷物をその上に置きざぶざぶと川に入り込んだ。
心臓をつかまれるような水の冷たさに、一瞬ひるむが、
そのまま川の中を歩き出した。
水かさは徐々に増してゆき、すでに腰のあたりまで来ている。
上流に比べれば、いくらか穏やかな流れとは言え、
気を抜けば体ごと流れに持って行かれる。
なにより冷たさで足の感覚がなくなってきている。
彼はできるだけ手を伸ばして、子犬を捕まえようとして、はっと気づく。
「僕・・犬は苦手だったんだよな・・。」
その時ひっかかっていた犬の前足が外れ、
犬の体がすいっと彼の方に流れてきた。
慌てて彼は手を伸ばして子犬を抱きしめた。
そのまま岸辺に向かう。
「おい・・生きていてくれよ・・。死ぬなよ・・。」
岸に這いあがると、彼は上着に入っていたハンカチでごしごし子犬をマッサージした。
それだけではまだ濡れているので、
シャツを脱ぎそれでくるんでその上から上着でくるんだ。
「今日は娘の生まれた日なんだ。特別な日なんだ。
絶対に助けるからな!」
彼は足をもつれさせながらズボンを履き、靴をひっかけると
荷物もくるんだ子犬も一抱えに抱えると、
帰路にある獣医師の看板を目指して走り出した。

「おいおい・・。君の方がびしょびしょじゃないか。」
眉の濃い獣医がタオルを放ってよこすと、診察台に子犬を乗せた。
「川から拾い上げた時体をごしごししたら、かなり水を吐いたんです。」
彼はありがたく借りたタオルで自分の体を拭きながら診察台の子犬を見つめた。
「うん。・・・それがよかったみたいだね。
栄養状態もそれほど悪くないし、ダニもついていない。」
「もう離乳も終わっているようだね。
あったかいご飯をたらふく食ったら元気になると思うよ。」
「・・・で?この子は君のうちの子じゃないのだね?」
「はい。」
「それだけ一生懸命助けた子だ。君のところで飼ってあげることはできないの?
僕のところはもう手一杯だから、保健所に連絡して前の飼い主を探すかい?」
「でも見つからなったら、処分されちゃうんでしょう?」
「里親という事も出来るけど、まだまだ数少ないからねぇ。」
「家族に聞いてみます。連れて帰って大丈夫かな・・?」
「あったかい点滴したから、直ぐに目を覚ますと思うよ。
ちょっと擦り傷程度の怪我はあるけど、骨まではいっていないしね。
丈夫な子だ。」
「ありがとうございました。」
彼はそっと子犬の頭から体を何度も撫でた。
子犬の目があいて彼の目と合う。
「大変な目に遭ったね。僕のところに来てくれるかい?
せめて元気になるまで僕の家族と一緒に暮らしてみないかい?
きっと愉快だと思うよ。」


あったかい手だった。
心地よい優しい手だった。
嬉しくて安心して泣きそうになった。
そっと舐めてみる。
「うん。ありがとう。
僕はあなたと一緒にいたい。」

獣医が気に入ってもらったようだね、と笑った。
彼は心底嬉しそうな笑顔でもっとたくさん撫でてやってから、
タオルと上着にくるんだまま
プレゼントの箱を小脇に抱えて家まで走って帰った。

「お帰りなさーい!おとーさんっ!」
カナデが玄関先まで走って出迎える。
「お母さんが大きなチョコレートケーキ焼いたの!」
「お誕生日、おめでとう、カナデ。今日はご馳走だね。
ちょっとおかあさん来てくれるかな?」
「おかえりなさい。お疲れさま。どうしたの?」
エプロンで手を拭きながらメグがにこにことでてくる。
とすぐにびしょ濡れでよれよれの彼に目を見張ると、
そのままお風呂先にどうぞね?
と着替えをあわてて用意してついてきた。
簡単にいきさつを説明して、上着の下に隠していた子犬をみせると
メグは目を真ん丸にして子犬を見つめる。
「ああ、なんてかわいい!
これはこの子を飼う運命なのだと思うわ!
ねえ、家で飼いましょう?
あなたが苦手とおっしゃるから、今まで我慢してたの!」
彼は子犬ごとメグを抱きしめた。
「よかった・・。君が賛成してくれて・・。
うんとかわいがって大事に育てて行こうね?」
「はい!」
「さあ、お誕生会、二人分だね?急いで支度しよう。」
「そうね!カナデ喜ぶでしょうね。
・・・あら・・?」
メグは子犬のお腹の模様をそっと撫でた。
「これと同じ模様、昔飼っていたチコにもあったわ。」
そしてカナデとそっくりな、少女のような顔で最高の笑顔を彼に向けた。
「・・・やっぱりうちの子になる運命だったのかもしれないわね?」




ふーー、と大きく息を吐いた天使はううんと伸びをした。
「やれやれ。やっと納まるところに納められたよ。」
「また幸せな人生を送って帰っておいでよ。一番大好きな人たちのところでね。」




まだ怪我をしているから優しく・・だよ?と言われて、
カナデはぬいぐるみの箱から出てきた
茶色の子犬と真っ白いうさぎのぬいぐるみを交互に見比べた。
ぱぁっと顔が輝く。
「新しい家族ね!ありがとう!おとうさん!」
そしてそおっと優しく子犬の頭をなでる。
「はじめまして。あなたのお名前はチョコちゃんね?
私の一番大好きなお名前なの。」
チョコがぺろりとカナデの顔をなめた。
きゃっきゃっとカナデが笑う。

メグと彼が顔を見合わせて微笑んだ。




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リヴリー小説 中編 『梅雨の狭間』 [創作]

もうすぐ親友のお誕生日です。

ムシチョウのノドくんは、お誕生日が大好きです。
お誕生日にはおなかいっぱい甘い大きなケーキをいただけます。
最近はあまり元気がない武彦さんも、
お誕生日のお話をすると、にこにこと聞いてくれます。
それにどうして解るのか不思議なのですが
ノドくんの大好きなものや、素敵な贈り物を
武彦さんやゼフォンさんや、親友のトビネのイェルクッシェくんが
いつもくださるのもとてもとても嬉しいのです。

ですから親友のお誕生日には、きっときっと喜んでもらうものをプレゼントしたくて
ノドくんは何カ月も前から、一生懸命考えています。

イェルクッシェくんは響鬼さんが好きだし
カッコいいものも好きだし・・
獣の槍もパンダさんもカピパラさんも好きだしなぁ・・
ぽりぽりのお菓子も、甘いカレーも、チョコレートも、
お魚のラーメンも好きだなぁ・・。

ノドくんはすっかり頭を抱えてしまいます。
何が一番喜んでもらえるのかなぁ!
僕がいただいた時に嬉しかったのとおんなじくらい嬉しいものって、なんだろう!

今日もノドくんは一生懸命
イェルクッシェくんのお誕生日プレゼントを考えていました。
あたりはもう真っ暗。
日中のじとじと雨にこもった部屋の空気が
窓を開けるとさああっと一気に吹き飛ばされました。
上空にはぼんやりとしたお月様が、流れる雲の隙間にみえました。

「気持ちいい風だなぁ!」

その時大きな羽音と共に、黒い塊がノドくんのお家に入ってきました。

「わあ!!だれだい!」

ノドくんはあんまりびっくりしたので、尻餅をついたままで
ぶんぶんという羽音を追って目をくるくるさせました。

大きな黒い塊は、ごん、ごん、と音を立てて灯りにぶつかり、天井にぶつかり
ノドくんのお隣に仰向けにひっくり返って6本の足をもごもご動かしました。

「おおーっと、失礼。灯りにつられてきてしまったよ。」

ノドくんはおそるおそる近ずくと、短い前足をひっぱって起こしてあげました。

「大丈夫?ずいぶんいっぱいぶっかっちゃってたよ?」

「ありがと。ありがと。わたしはムグリともうします。」

ムグリは前足で口元の触角をなでつけながら挨拶をしました。

「ムグリさんはカナブンだね!すごく綺麗なぴかぴかの色だねぇ!
響鬼さんのまじょーらからーみたいだ。

ノドくんは初めて見る大きなカナブンに目をぱちぱちさせました。

「ようやく月がでたので、飛行してみたくなってねぇ」

はっはっはっはっとムグリはおなかを揺すって笑いました。

「どうだい?一緒に夜のお散歩としゃれこまないかね?」

ムグリはよいしょよいしょと窓の枠に腰を掛けると、ノドくんを振り向きました。

「うんっ!行こうっ!」

ノドくんはぴょこんと窓に飛び乗り、ムグリの背中に掴まりました。

「ようし、行きますぞ!」

ムグリは力強く硬い翅を開くと、一直線に上空の朧な月をめがけて飛び立ちました。

・・・・と、翅に掴まっていたノドくんはたまりません。

力強い硬い翅の一撃を喉元にくらわされて、羽ばたく間もなく意識を喪うと
放物線を描いて長雨にしっとりと濡れた丈高い草原に落ちて行きました。

「私の翅はすべるかもしれませんので、
しっかり掴まってくださることをお願いしますぞ!」
「私も中々の腕っぷしでね?
まだまだ君くらいのモノなら、軽々っていうところですけれどもねっ!」
「どうぞ安心してくれたまえよ!」

ムグリはノドくんをすっ飛ばしたことなど全く気付かずに、
さらに高く飛んで行ってしまいました。

さてノドくんはというと、たくさんの雨で伸び放題の柔らかい草の葉のクッションに
柔らかく受け止められて、二度三度とバウンドすると
ぽちゃんと大きな水たまりの中に落ちました。
しかしまだ目を開きません。
しかもその朱い体はゆっくりと水たまりの中に沈んで行き、
みるみるお顔が黄色の嘴を残して見えなくなり、それもやがて見えなくなりました。
最後までみえた小さな手の指も、吸い込まれるように水中に没すると
大きな泡がひとつふたつ底から湧いてきたのを最後に
何事もなかったように静かになりました。
しばらく揺れていた水面も、やがて静まり
濁った泥の面には、大きなまあるい月が映し出されていました。

夜遅くに訪ねてきた声に、イェルクッシェくんはぴょこんと飛び起きました。

「武彦さん、こんばんはーっ!」

ゼフォンさんが扉を開けるよりも早く、イェルクッシェくんはお友達の武彦さんの足に
ぎゅうっとくっついて挨拶をしました。

「あれ?ノドくんはお留守番?もう寝ちゃったの?」

ひとしきり武彦さんの体を上ったり下りたりして親友を探したイェルクッシェくんは
大きな頭を傾げて聞きました。
ようやく扉を開けたゼフォンさんに挨拶をした後、武彦さんは沈んだ顔をむけました。

「やっぱりこちらにも来ていないのですね。
昨日の朝からノドくんを呼んでいるんですが、応えてくれないのです。」

こんなことは初めてなので・・と武彦さんはうつむきました。

「イェルクッシェ。ノドくんのところまでとんでみてくれないか?」

ゼフォンさんが声を掛けました。

「まかせておいて!シュッ!」

イェルクッシェくんは響鬼さんのポーズでさっと消えました。


「あれえ?」

そこはいつも見慣れたわだつみのノドくんの家です。

「ノドく~んっ!どこだい?」

きょろきょろと見渡してみてもノドくんの姿はどこにもありません。
イェルクッシェくんはもう一度ノドくんの名前で追跡の技をかけてみました。

・・やはりわだつみの家に出ます。

「ノドく~んっ!ノドく~んっ!どうしたの?出てきてよーっ!
ぼくだよー!イェルクッシェだよーっ!遊びにきたよーーっ!!」

イェルクッシェくんの胸の奥に大きな黒い塊がつかえたような気持になりました。

「ノドくん・・。」

いつも遊んだ木の上、花の陰、かくれんぼした本の間・・。

「ノドくん・・ノドくん・・ノドくん・・。」

頭の隅を、急にいなくなってしまった
幾人ものお友達のお顔が通り過ぎました。
イェルクッシェくんは頭をぶるぶると振って、
喉の奥からこみあげてくる塊を飲み込みました。

僕に何も言わないでノドくんがいなくなる訳ない。
武彦さんにあんな悲しいお顔をさせる訳がない。

イェルクッシェくんはぎゅっと口を固く結ぶと、
一番の親友のゼフォンさんのお名前を唱えました。

ゼフォンさんと武彦さんは、イェルクッシェくんのお顔を見て
ノドくんが見つからなかったことが解りました。

武彦さんの青いお顔をきずかし気に見つめながら、ゼフォンさんが口をきりました。

「イェルクッシェ。心眼でノドくんをみてくれないか?」

イェルクッシェくんは直ぐに目を瞑って答えました。

「お腹は半分くらい空いているけど、ちゃんとみえるよ!」

「夜眠る前に満腹まで食べていたからね。そうか、無事でいるんだね。
ありがとう、イェルクッシェくん。それだけでも解って嬉しいよ。」

武彦さんはそっと小さなイェルクッシェくんの頭を撫ででくれました。
我慢していた涙がぽろりとイェルクッシェくんの頬を伝いました。
武彦さんやゼフォンさんにとって、自分たちがどれほど大切な存在であるか
そのてのひらを通して、通心しなくても痛いほど感じ取れたからでした。

「心配をかけてごめんね。
ノドくんが戻ってきたときに迎えてあげたいから、僕は島に戻るよ。」
武彦さんはそれでもゼフォンさんとイェルクッシェくんに笑顔を作ると
手を振って帰ってゆきました。


さて。
ノドくんはどうしたのでしょう。


ノドくんはぼんやりとした光の中で座っていました。
「ここはどこだろう?」
思わず出した声は変な風にくぐもって、
なにかに吸い込まれるようにふっと消えてゆきます。
見渡す限り白い霧のようで、
まるでミルクの中にいるみたいだなぁ、とノドくんは思いました。
ちょっと怖くなって、自分の手のひらを見ると
心なしか色も褪めて白っぽくなっている気がします。

「おーい。おーい。」

ノドくんは大きな声で叫んでみました。
やはり声はすっと尻切れトンボのように途切れて、
耳が痛くなるような静けさがすぐにやってきました。

「武彦さーん!イェルクッシェくーん!」

上を見上げると、白い空がゆらゆらと揺れているように見えます。
ノドくんは立ち上がると、両手をいっぱいまで前に伸ばして
ゆっくりゆっくり歩きだしました。
指の先にも、つま先にも何も当たりません。
どのくらい長い間歩き続けたでしょう。
ふり向いた道も、もう白い霧の向こうに消えてしまっていました。
ノドくんは不安と恐怖と絶望でぺたんとその場に座り込みました。

「武彦さーん!武彦さーん!たすけてーっ!こわいよぅ!こわいよう!!」

掴んだ地面は白いふわふわとした綿菓子のようでしたが、
確かに地面としての感触があります。
ノドくんはふとそれに気づいて、足元を両方の手で掘ってみました。

するとどうでしょう。

白い地面の下から鮮やかな黒い土が現れました。
色のない世界に突然現れた黒。
ノドくんは夢中で回り一帯を掘り始めました。
今度は鮮やかな緑。
白い霧のような色に埋もれることのない滴るような緑色です。

ノドくんの疲れた顔に、ようやく笑顔が浮かびました。

「こんにちは。君たちは生まれたばかりの葉っぱだね?」

その時上空を揺らして、一陣の風がざあああっと吹き降りてきました。
一瞬目を瞑ったノドくんでしたが、すぐに周りの異変に気付きました。

それは・・音でした。

風に揺れる草の音が周りから一斉に聞こえたのです。

ノドくんの見開いた目に映ったものは
霧がすべて吹き払われた夜の草原でした。

さわさわと風に揺れる身の丈ほどの草の香り。
雨に濡れた土の香り。
耳を澄ますと、静寂の中にも草が伸び行く音さえも聞こえるのです。

そしてはるか上空にはまあるいお月様。

ノドくんの目に、今度は新たな明るい涙が浮かびました。

その時、きらりと目の端に何かが光りました。

ノドくんが近づくと、小さな黄色の種がいくつもお月様の光を反射しています。

「これ・・みたことあるなぁ・・?」
ノドくんはくんくんと匂ってみましたが、そっといくつかを袋の中にしまいました。
これをイェルクッシェくんへのプレゼントにしよう!
きっと素敵な実がなるかもしれないもの!
喜んでもらえたらいいなぁ。
お誕生日、間に合うといいなぁ・・。

武彦さん、イェルクッシェくん・・・早く戻りたいよ・・。

ノドくんはぎゅうっと口元を食いしばって、目を閉じました。


わだつみの家で、武彦さんはノドくんのことを心配して何度も呼びかけていました。
お腹すいているんじゃないか、怪我をしているんじゃないか・・
こちらに来たばかりの頃、家に帰れなくて行方不明になったお友達を思い出して
事務局のパトロールさんにもお願いしてみましたが、まだ何も連絡がありません。

静かにドアを叩く音がして、
ゼフォンさんとイェルクッシェくんが来てくれました。
「武彦さん。もう一度今度はみんなで呼びかけてみませんか?」
「きっとみんなで呼んだら聞こえると思うんだ!」
イェルクッシェくんの後ろには、ノドくんの仲良しのお友達がたくさん来ていました。
ジャスミンさん、ポイトコナくん、秀吉くん 瑞貴☆妃さん・・

「みんな・・ありがとう。」
武彦さんはみんなの優しい気持ちに、胸がいっぱいになりました。

「さあ、いくよーーっ!」
イェルクッシェくんが先頭に立って、声をあげました。

「ノードーくーーーんっ!!ここだよーーーーーっ!!
帰っておいでーーーーっ!」

みんなが口々にノドくんの名を呼びます。
武彦さんもゼフォンさんも一緒に呼びかけました。

「ノドくん。帰っておいで。みんな待っているよ・・。」

武彦さんがそうつぶやいた時
見知らぬ地にいたノドくんは、はっと頭をあげました。

「呼んでる・・。僕の事・・呼んでるっ!

イェルクッシェくんの声だ!武彦さんの声だっ!!」

ノドくんはそのまま助走もつけずにぽーんと飛びました。
懐かしい顔が存在が、ノドくんの体中が満たされていっぱいになります。

イェルクッシェくん!ジャスミンさん!ポイトコナくん!
武彦さん!ゼフォンさん!武彦さん!武彦さん!

会いたい、会いたい、会いたい、会いたい!
今すぐに。
今!!

ノドくんの朱い体がしゅーんと持ち上げられ飛ばされます。

「ただいまぁ!みんなぁ!」

ノドくんは武彦さんの腕の中に抱きとめられ、
すぐに仲良しのお友達にもみくちゃにされました。

「やったぁ!おかえり!ノドくん、おかえり!」

みんなが大喜びで口々に呼びかけました。

ノドくんはもみくちゃにされながら、
少し離れて下を向いているイェルクッシェくんのそばに駆け寄りました。

「イェルクッシェくん。君と武彦さんの声が聞こえたんだ。
ありがとう。僕、戻れないんじゃないかってすごく怖かった。心配かけてごめんね?」
そして、袋から種を取り出すと、そっとイェルクッシェくんの手に握らせました。

「イェルクッシェくん、お誕生日おめでとう!
日付が変わったから、ぎりぎりで間に合ったね。
これ、ぴかぴかの種なんだよ?」

イェルクッシェくんは、じっと手の中の種を見つめました。

その手をまたぎゅっと握りしめると、ノドくんの首に抱きつきました。

「ぼく・・ぼく・・ね?」

そしてシッポまで振るわせて大きな声で泣きだしました。

「僕も・・とってもこわかったんだよ?
プレゼントよりも僕、ノドくんがいるほうがいいんだ。
ノドくんがいてくれるほうがいいんだ。」

そしてふたりは武彦さんとゼフォンさんが、やさしく撫でて眠りにつくまで
ずっとお互いの手を握りしめていました。

「お店が開いたら、
二人の大好きなケーキを買ってお祝いしてあげなくちゃいけませんね。」

ゼフォンさんも安心したように微笑みました。

翌朝、ノドくんとイェルクッシェくんは不思議な黄色い種を
土に埋めてお水をあげました。
そして大きなケーキでお誕生日のお祝いをしました。
ゲームをしたり、おしゃべりをしたり、
みんなはいっぱいお腹を抱えて笑い合いました。

あの不思議な場所の種は、不思議な魔法がかかっているのか、ぐんぐんと伸びて
数日で大きな実をつけました。

「トウモロコシだったんだね!」

ふたりは顔を見合わせてにっこりしました。

甘くておいしいトウモロコシは、お友達みんなで分け合っても
まだ余るくらい沢山実りましたので
半分はゆでたり焼いたり、スープにしたり、パンに入れたり
みんなでお腹いっぱい食べました。
あとは来年もまたそのあとの年も食べられるように、種として残すことにしました。

きっとその甘いトウモロコシを見るたびに、
心で呼び合い、応えることのできた大切な友人を思い出すことでしょう。


最後にふたつほど。

ムグリ氏の名誉のためにもお話をしておかなくては。
ノドくんを振り落としたのに気づいたムグリ氏は
遅ればせながら、仲間を引き連れて捜索隊を編成してくれました。
ただ、みなさんあちこちにごちごちぶつかって怪我ばかりして
ほとんどの時間を薔薇の花の柔らかなベットで休んでおられましたけれどね。

そしてノドくんが落ち込んだ場所はいったいどこだったのでしょう。
ノドくんは、「物事が始まる前の場所」みたいだったといいます。


もしかすると、次元の隙間だったのかもしれませんね。

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リヴリー小説 中編 『はちみつホットケーキ』 [創作]

いつももぐりこんで遊んでいる雑誌と雑誌の隙間から、ピンク色の鼻さきが現れました。
ぐりぐりぐりとお顔が出てくると、ぱっちりと青空のような瞳が開いて、
少し遅れて小さなお耳がびょこんと立ちました。

「やった、お日さまだ!冒険にゆくんだっ!」

ぽすんと平たくなった雑誌には目もくれず、
トビネのイェルクッシェくんは元気に立ち上がりました。

「ゼフォ~ンッ!おはようっ!ノドくんところいってくるねっ!」

親友で飼い主のゼフォンさんが、「いってらっしゃい。」と振り向くと、
もうイエルクッシェくんのふさふさの尻尾の先が、窓の隅から消える所でした。

昨夜の台風で、草原の草の一本一本は
未だたっぷりと水を含んでひんやりとしていました。
その中を元気いっぱい駆けまわるのは、トビネのイェルクッシェくんにはとても爽快でしたが、
草原を抜け出る頃には、その全身は水の中に落ちたようにびしょびしょです。

でも大きく体を揺すって水を飛ばすと、
暖められた陽射しでたちまち元のようにふんわりとしました。

その時イェルクッシェくんは高い悲鳴を聞きつけてぴたりと足を止め、お耳をピンと立てました。

「こっちだっ!」

イェルクッシェくんが声のする方に駆け寄ると、
小さなラビネの女の子が今まさに大きなスズメバチに襲われているところでした。

「こらーっ!あっちいけーっ!!」
イェルクッシェくんは大きな声で叫びました。
薄ももいろのラビネの女の子はイェルクッシェくんに気づくと、こちらに走って逃げて来ました。
「イェルクッシェのおにいちゃんっ!こわいよお!」
「あっ!ももこちゃんっ!」

女の子はイェルクッシェくんと仲良しの、ジャスミンさんの妹のももこちゃんでした。
その背中に、スズメバチの大きな口が迫っています。
まさにその口がももこちゃんの背中に届きそうな寸前、
草に足を取られてももこちゃんが倒れ込みました。
その僅か数センチ上をスズメバチの巨体がかすめてゆき、
イェルクッシェくんも飛び越えて、再び態勢を整えて旋回してきます。

そのすきにイェルクッシェくんはももこちゃんの所まで駆け寄ると、
草むらの安全な所に隠そうとしましたが
転んで傷だらけのももこちゃんは泣いて痛がって、なかなか動かせません。

「がんばってももこちゃんっ!逃げなくちゃ!」

旋回したスズメバチは今度は失敗しないようにと、一直線に迫ってきます。
イェルクッシェくんは覚悟を決めて、ももこちゃんの前に立ちあがると、
まっすぐにスズメバチに向かいました。
「さあ、こいっ!」

その時、眼のくらむ閃光がスズメバチを貫きました。
と同時にイェルクッシェくんとスズメバチの間に、黒い影が割り込んできました。

「その子を連れて、早くゆけ。」

その声と同時に、次の閃光がスズメバチを襲いました。

それは夜の闇のような羽根を広げた、体つきもがっしりとした大きなムシチョウでした。

不意を喰らったスズメバチは、
怒り狂って今度はそのムシチョウに襲いかかろうと向き直りました。

「僕も一緒に戦う!独りじゃ無理だよ!」イェルクッシェくんが叫びました。

黒いムシチョウは不敵な笑みを浮かべて、イェルクッシェくんをちらりと見やりました。

「その心意気はありがたいが、まずその子を安全な所に連れていってもらう方が助かる。
それが出来るのはお前だけだと思うが。」

「でも・・。」

言い淀むイェルクッシェくんに、小さなももこちゃんは泣きながらしがみついています。

再び襲いかかるスズメバチの大きなあぎとをかわしながら、
黒いムシチョウはもう一度イカヅチをその頭上に落としました。

「コイツには貸しがあるんだ。オレ独りで大丈夫だ。
さあ、早くいけっ!」

イェルクッシェくんはこぶしをぎゅうっと握りしめると、叫びました。

「ももこちゃんを置いて、すぐ戻るよっ!すぐだからねっ!」

そしてももこちゃんを抱き上げると、ジャスミンさんのお家に不思議な力を使って飛びました。

「頼もしいな・・。」

黒いムシチョウは思いもかけぬ優しい笑顔で、イェルクッシェくんの消えた場所を見つめました。
そして巨大な敵をしっかりと見据えました。

「今日こそこれで終わりにしようぜ。
・・・来な。」


一方イェルクッシェくんは、ももこちゃんを抱えたま、ジャスミンさんのお家に降り立ちました。

でもあんまり慌てていたので、着地の時に尻もちをついてしまいましたが

それでもその姿が完全に現れる前から、大きな声で叫びました。

「ジャスミンさんっ!ももこちゃんが怪我したのっ!僕、もどらなきゃっ!!」

その声に奥の扉が開き、白くてどろどろした何かがふたつ、
イェルクッシェくんの方に向かってきたのです。

ももこちゃんは一瞬泣きやみ、ふたたび強くイェルクッシェくんにしがみついたものですから

もういちど飛んでゆこうとしたイェルクッシェくんはまた尻もちをつきました。

「ももちゃ~んっ」

「イェルクッシェく~んっ」

その白くてどろどろしたものが二人の名前を呼んだモノですから
ももこちゃんは金切声をあげて、足をふみならしました。

イェルクッシェくんはしばらくお目々をぱちぱちしていましたが、
たちまちふわふわの尻尾を、デッキブラシのようにぴんと立てました。

「マカモウだなっ!来いっ!僕がこらしめてやるっ!」

その勇ましい言葉にもオバケ達はひるむことなく、ずんずんとイェルクッシェくんに迫ってきます。

「ちがうちがうっ!僕だよ、ノドだよ~っ!」

「私よ、ジャスミンなの!」

二人の必死な声に、イェルクッシェくんはあれ?っとお首をかしげました。

そしてお鼻を空に向けてアハハハハハッ!と笑いだしました。

「なあんだ、ノドくんとジャスミンさんだぁ。何して遊んでいたの?」

「遊んでいたんじゃないよ―。ジャスミンさんのホットケーキを作るお手伝いをしていたんだよー。」

ノドくんがお顔の前の白いどろどろから、ようやくお目々だけ出すのに成功して言いました。

くりくりとしたお目々がのぞくと、またイェルクッシェくんは大笑いをしました。

「アハハハハハ!おかしいなあ!ノドくんだ!ホントにノドくんだ!」

腰に手をあてているらしいシルエットのジャスミンさんが、ようやくくもぐった声で言いました。

「ノドくんに小麦粉とミルクを混ぜてもらっていたらね?
ノドくんたら、わざわざ私の前でつまづくんだもの。」

「それでボウルごとジャスミンさんに・・。僕、拭いてあげようとしたんだよ?
でも僕までべたべたになっちゃって・・。」

そしてノドくんとジャスミンさんはお互いを見つめて、ぷっとこらえ切れずに笑いだしました。

イェルクッシェくんがノドくんに「びっくりしちゃったなぁ!」と笑いながらしがみつくと、
イェルクッシェくんも真っ白どろどろになりました。

「すごいかっこうだね。」

「なんだか固まってきたみたいで、ごわごわしてきたわ。」

泣きべそをかいていたももこちゃんまでが、ようやく笑いがおさまってくると、
ふとジャスミンさんがいいました。

「ももちゃん、怪我したって言ってなかった?」

「あっ!」

「あっ!」

ももこちゃんとイェルクッシェくんが同時に叫びました。

「僕戻らなくちゃ!黒いムシチョウさんが戦っているんだっ!」

「大きなスズメバチがきたの!」

さっとジャスミンさんとノドくんの顔が青ざめました。

「怪我をしたの!?」

ノドくんが叫ぶように聞きました。

「だいじょうぶ。ももが転んだだけ。
でも助けてくれた黒いムシチョウさんが、ひとりで戦っているの!」

「よし、ジャスミンさんはももこちゃんをお願い。僕とイェルクッシェくんでいってくるっ!」

「でも・・っ!二人で行ってもスズメバチじゃあ・・っ!」

「大丈夫。勝てなくても、追い払うくらいできるよっ!心配しないでっ!」

「シュッ!」

言葉も終わらない内に、ノドくんとイェルクッシェくんは、戦いの場所へ飛び戻ってゆきました。


焼き焦げた草と、なんともいえない嫌な匂いがまず鼻を打ちました。
その次は激しい稲光と雷鳴が響き渡り、距離を開けて飛び降りた黒いムシチョウの姿と
それに追いすがり、
掴みかからんばかりの大きなスズメバチの焼け焦げた頭が、視界に現れました。

たったひとりの攻防で、流石の黒いムシチョウも息があがっているようですが、
眼光だけは鋭くスズメバチを圧しているようでした。
ただいくつも黒い羽根が地面を舞っている所をみると、決して無傷ではないようです。

「こらーーーっ!!小さい子をいじめちゃだめだよーーっ!!!」

ノドくんの横で、とてつもなく大きな声が鈴の音と共に鳴り響きました。

黒いムシチョウの手助けにと駆けだそうとしたノドくんは、思わず立ち止まり
黒いムシチョウとスズメバチは同時に振り向きました。

そこには真っ白などろどろした何かが、
鈴を振りながら何か大声で叫びながらつっこんでくる所でした。

スズメバチはシュッと後ろに飛び退きました。
少し逡巡するようにその場で翅を震わせ、空中に止まっておりましたが
もう一度鈴が高らかに鳴り響くと、すーーっと森の方へ姿を消してしまいました。

そのスズメバチの姿を、しばらく鋭い眼で見上げていた黒いムシチョウは、
そのまま空を見上げて、やがて穏やかな低い声で言いました。

「今回は君たちに助けられたな。
・・・今度会った時は、とどめをさすよ。」

そしてこちらを振り向く事も無く、森の中へ歩み去りました。


「ももこちゃんを助けてくれてありがとうって言いたかったのに。」
イェルクッシェくんが大事な鈴をしまいながら言いました。

「うん。僕、何にもしなかったのになぁ・・。」

ノドくんはおともだちの秀吉くんだったよなぁと首をかしげていました。
でもあんまり厳しい様子に、声をかけてはいけない気がしてその後ろ姿を見送りました。

「ああこれ,ももこちゃんのお買い物だったんだね。」
イェルクッシェくんが地面に落ちて割れてしまった瓶と、
その近くに転がっていたお買い物かごを見つけました。
「くんくんくん。甘くておいしそうな匂いがするね!」

ノドくんもイェルクッシェくんの近くにゆくと、メープルシロップの甘い香りがしました。
「そっかぁ。きっとホットケーキにかけるのを買いに行ってくれていたんだね。
・・・・でもこれじゃあもう使えないね・・。」

そしてべとべとの小麦粉が固まりだして動けなくなってきたイェルクッシェくんとふたり、
せーの、一緒にと声をかけて、
心配しているジャスミンさんの家まで、魔法の言葉でとんでゆきました。

みんな無事で本当によかった、と、
そのままでずっと青い顔で待っていたジャスミンさんは、ようやく涙を拭くと、
お着換えしてくるね、と奥に入ってゆきましたので
ノドくんとイェルクッシェくんは、包帯をまかれたももこちゃんを連れて、近くの川まで走りました。

川のお水は冷たくて、
ふたりとも修行だ、修行だといいながら、お互いの体をごしごしじゃぶじゃぶ洗うと、
イェルクッシェくんはなんだかいつもよりつやつやな毛なみになり
ノドくんもぴかぴかの羽根になったようです。

大きな岩の上で、お日さまと風で濡れた体を乾かして、
イェルクッシェくんのしっぽがまたふわふわになる頃
ふたりの間でいっしょに寝転んでいたももこちゃんが言いました。

「おにいちゃんたち、助けに来てくれてありがとう。
ほんとうにこわかったの。」

イェルクッシェくんはぴょおんと飛び起きると、胸を張りました。

「鍛えているからねぇ!」

ももこちゃんはにこにこしていましたが、ちょっぴり残念そうに言いました。
「今日はおいしいホットケーキ、食べたかったのにな・・・。
シロップをももこ落としちゃったの・・。」

ノドくんとイェルクッシェくんは顔見合わせました。

その時ノドくんがあっ!と言って立ち上がりました。
「そうだっ!僕、前の年に森の中でみつけたんだよっ!
みんなで行こう行こう!・・あるといいなぁ!」

「なになに?」

「冒険だねっ!」


ノドくんは二人の手を引いて、川の向こう側の森の中に走りだしました。

しばらく走ったところで、ノドくんが立ち止まって、こんもりした木を指さしました。

「やったぁ、あったあった!ほらみて!」
「わぁ!」
「いっぱい実をつけているね!」

それは大きな木イチゴの茂みでした。

「ホットケーキの上にこれをいっぱい乗せたら、きっと甘くなるよ!」

「わぁい、わあい!」

ももこちゃんはぴょんぴょんととび跳ねると、
ポケットの中から大きなハンカチを出して摘み始めました。
ノドくんも赤くて美味しそうなのを選んで、そおっとそのハンカチにいれました。

イェルクッシェくんは高い木の所についている大きな実を上手に採って来てくれました。
たちまちハンカチには赤いぴかぴかした宝石のような実がいっぱいになりました。

「おねえちゃん、喜んでくれるかなぁ?」
「おいしいって言ってくれるといいね!」

3人が実を潰さないようにそろりそろりと家に戻ると、戸口のドアノブに何かかかっています。
袋に紐がつけられて、中に何か瓶が入っているようです。
3人がそおっと開けてみると、金色に光るとろりとした液体が瓶の縁あたりまで入っています。
ノドくんが器用にお指を使って蓋をはずすと、優しい甘い匂いがしました。
3人は声を揃えで言いました。

「はちみつ!!」

「きっと秀吉くんが、割れちゃった瓶を見て、
代わりのはちみつを持ってきてくれたんだっ!」

「やさしいなぁ!」

素敵な贈り物と、ぴかぴかの真っ赤な木イチゴをテーブルに並べると
ジャスミンさんは頬を薔薇色に染めて微笑みました。

「これで美味しい美味しいホットケーキができるわ。」

ジャスミンさんは新しいエプロンをきりりとつけると、魔法のような手際の良さで
次々とキツネ色にふんわりとまあるいホットケーキを、お皿に重ねてゆきました。
お部屋の中にはバターと小麦粉とお砂糖の焼ける、幸せな香りでいっぱいです。

ノドくんも、イェルクッシェくんも、嬉しくなって
ふたりで邪魔にならないように、「美味そうで嬉しい踊り」を
ああでもないこうでもないと踊りました。

ももこちゃんはそっとジャスミンさんの所に近付くと、エプロンのすそをつんつんとひっぱりました。
なあに?とかがむジャスミンさんの耳元で、つま先立ちで一生懸命お話ししています。
ジャスミンさんはにっこり微笑むと、戸棚から綺麗な小さな紙の箱を取り出しました。
そこに真っ白な紙ナプキンを敷きました。
お皿から3枚のホットケーキを中に入れると、ぴったりと治まりました。

なあになあに?とノドくんが覗きに行くと
「黒いムシチョウのおにいちゃんにあげるの。」とももこちゃん。
「そっかぁ!」
「いっぱいありがとう、っていう気持ち届くかなぁ・・?」
「よしっ!僕に任せておいて!」
後から来たイェルクッシェくんが箱の中をごそごそとすると蓋を閉めました。
「これで大丈夫っ!黒いムシチョウさんの所にみんなで行こう!」

みんながにこにこしながら大急ぎでムシチョウの家から戻ってくると、
片付いたテーブルには、
真っ赤な木イチゴがたっぷり乗った、あつあつのホットケーキが並べられていました。

「さあ、熱いうちにいっぱい召し上がれ!」

みんなは歓声をあげて椅子に座ると、元気よくいっただきまーすっ!と声を揃えました。

たっぷりとかかったはちみつと、あまずっぱい木イチゴの熱々のホットケーキは
みんながお腹がぱんぱんになるまで食べても、まだ食べられそうな気がしました。



さてその少し前、抑えられたくすくす笑いを扉の外に感じ、
黒いムシチョウはふと脇の傷の治療の手を止めて、いぶかしげに扉の方を見やりました。
それがさざ波のようにひくのを待って、彼はそっと扉を開きました。

そこには誰の姿も無く、綺麗にしつらえた紙袋だけがぽつんと置いてあります。
中を開くと、また紙の箱があります。

彼はしばらく戸惑ったようにその箱を見つめていましたが、
家のテーブルまで運びこむと蓋を取りました。
中にはキツネ色にふんわりと焼けた、まだ温かなホットケーキが入っていました。
その上に木イチゴが不規則に並んでいます。

しばらくそのホットケーキを見つめていて、
彼はようやく木イチゴで字が書かれているのだと気づきました。
苦労してようやく解ったのは

『し1之る>U之』という文字。

「これはなにかの暗号かな?」

黒いムシチョウは眉間にしわを寄せて、しばらく腕を組んでその文字を見つめると
頭を右にしたり斜めにしたりして考えました。

そして目をつぶると、突然あっ!っと声をあげてもう一度見直すと
天を向いていきなり大笑いをしました。

「な、なんで・・・。あはははははっ!
ちびさんと作ったんだなっ!あはははははははっ!!」

いて、いて・・とわき腹を抑えながらもうひとしきり笑うと、
「ごっそさん。」といってペロリと三口ほどで綺麗に箱を空っぽにしてしまいました。

その瞳には先ほどまでの暗い怒りはすでになく
穏やかに澄んで、楽しげに細められたままでした。


さてこちらは、ジャスミンさんの明るいお庭の柔らかな草の上です。
仰向けに寝転がってぽんぽんのお腹をさすりながら、ノドくんはイェルクッシェくんに聞きました。

「黒ムシチョウくんにあげたホットケーキに、さっきももこちゃんと何をしていたの?」

「ありがとうの気持ちをたくさん詰めていたんだよ?」

「気持ち?ありがとうって書いていたの?」

「それはジャスミンさんとももこちゃんでいっぱい込めてあったからね?
『僕も』って書いたんだぁ!」

「僕もって?」

「それじゃあよく解らないと思ってね?
僕の名前を書いたんだぁ!」


それで黒ムシチョウさんにちゃんと伝わったのかなぁ、とノドくんは心配になりましたが
きっと秀吉くんなら解ってくれただろうなぁ、とにっこりしました。







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小説 短編 『晩秋』 [創作]

狭いアパートの階段をいつもの通り、意味も無く数えながら降りてゆく。
雨にあたらないように停めてある自転車の簡易なカギをはずすと、
金属に触れた指先がひんやりと冷たい。
カギをしまい、まだ靄のかかっている道まで自転車をひいてくると、朝の喧騒が耳をうつ。

また朝が来た。
僕の心なんてお構いなしに
また新しい一日が始まったんだ。



「人は何のために生きていると思う?」
とミオは手に持っていた厚めの図書室の本を、ぽんと音を立てて机の上に置くと
僕の顔を覗き込んだ。
彼女の話はいつも唐突だ。
「死ぬのが面倒だからだろう?」
僕は週刊の漫画雑誌から眼もあげずに応えた。
「リョータくんたら、ちっとも真面目に考えていないでしょ。」

開け放した窓からサッカー部の掛け合いと、遠くで吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。
傾いた陽がやわらかく校舎を包んで、そろそろセピア色に変わろうとしていた。
少人数の同じ中学の出身だった所為か、クラスが同じになると、
気心も知れている上に、帰る方向が同じな事もあって、
なんとなく僕らは時間を合わせて学校を出るようになった。
図書委員会のあるミオを、帰宅部の僕が待っているのがいつもではあったが。

ミオは決して美少女ではないが、笑うと大きな目が猫のように細められ
それがあんまり楽しそうにみえるものだから、見ているこちらまで心楽しくなってしまう。
そしてなによりも、その性格の明るさと、優しい気配りができるので
中学時代から男女の分け隔てなく友人が多かった。
高校に入ってからはクラス公認!とよく冷やかされたが、
僕はむしろそれがなんだか嬉しいくらいだった。
でも僕らは手をつなぐでも無く、中学の時と同じように
とても仲の良い気の合う友人同士で、それ以上でもそれ以下でも無かった。

校門からバス停までのだらだらした細い登り道を、僕らは何も言わずに歩いた。
ミオは少し僕から離れると、道の両脇に丈高く茂っているススキの穂をそっとなでた。
「うふふふ。やわらかい。一面の金色ね。」
彼女はハイタッチをするサッカー選手のように、
両脇のススキの穂を、順番にぽんぽんと触れていった。
道の端と端をくるくると回りながらなでてゆくものだから、
セーラー服のスカートといっしょに、肩までのさらさらした髪まで
まあるく円を描いて広がった。

まるで小さな少女のようだった。

遠く沈む夕焼けの最後のゆらめきが、踊るように先をゆく彼女を
輝くオレンジ色に浮かびあがらせて
僕は一枚の宗教画の前にいるような、崇高で胸が痛くなるような感動を覚えていた。

暗い森の中を何日も彷徨い歩いた末に見つけた、山小屋の小さな灯火のような。
長い病の末にようやく目覚めて、そこに優しい母の笑顔を見つけたような。

きっと僕はこの風景を、この先何十年経っても鮮やかに覚えている。
遠い日に故郷を想う時にもきっと思い浮かべるだろう、ふとそんな事が頭をよぎった。

ミオは息を切らして戻ってくると、にっこり笑った。
「わかったわ。きっとこの美しい世界をいっぱい楽しむためだわ。」
その紅潮した頬と、きらきらとした瞳と屈託の無い微笑み。
僕はきっとこの瞬間にミオに恋をしたのだと思う。
まさしくすとんと落ちたこの想いに、
僕は彼女が何に対して『わかった』のかさへ、理解できていなかった。

ミオの優しい仕草やさり気ない気遣い、弱い者を守ろうとする正義感。
その時々のミオが僕の中で駆け巡った。
思わずそのひんやりとした華奢の指先を握りしめたまま、
彼女と共にどこまでも歩いて、美しい世界をもっとたくさん見せてあげたいと本気で考えた。
僕の道の隣にいるのは、ミオであって欲しい。
この手は決して離してはいけない。

僕は自分でも戸惑いながら、しどろもどろに自分が彼女の特別な人間になりたいと伝えると、
僕を見つめるミオの大きな瞳から、涙がぽろぽろと溢れた。
「そんなこと・・。私にはもうずっとリョータくんは特別だったのに。」
そして涙のままの笑顔で、僕の両手をぎゅううっと握り返した。

それが僕らの最良の日々の始まりだった。


僕らはいつも微笑みあった。
時には怒り、いくつかの涙も流したが、
そんな喧嘩をして泣きながらでも、彼女は僕と共にいてくれた。
どんな出来事も哀しみも、僕らをひき離す事はできなかった。

彼女は僕自身よりも僕の事を深く理解してくれていた。
僕らはもともと魂がひとつであったように、どんな時でも一緒にいた。

そんな日々はずっと続くものだと信じていた。

そう、続くべきなんだ。




僕は自転車をいつもの駐輪場に停めた。
大きな門を入ると、そこは広く明るいエントランス。
ここはいつも静かだ。
エレベーターを待つこの数分間。
いつも胃がぎゅうっと掴まれるような感じがする。

大きく息を吸い込んで、扉を開く。

ミオは車椅子に座ってこちらを見ている。
実際は顔をこちらに向けている、が正しい。
彼女の瞳は僕の姿を映しても、もう何も反応はしない。

「やあミオ、きたよ。」
僕は途中で抜いて来たススキを三本、
大事にそっと上着のポケットから出すと、ミオの手に握らせた。

「ほら。ミオの好きな美しい世界だよ。」
ミオの表情がほんの少し動く。
手がススキの穂を慈しむようにあてられている。

「まあ。」付き添っていた中年の介護士が声をあげた。
「今日はちゃんと解っているようですね。嬉しそう。」
「これでも笑っているのですよ、ミオは。」
「そうですね。」

介護士はミオに向き合うと、耳元で大きな声をあげてゆっくり話した。
「ミオおばあちゃん、よかったね?だんなさんがススキ持って来てくれたのね?」

ミオの目がしばたいた。
きっと脳の遠い所で、ミオも僕と同じ風景を見ているのかもしれない。


広大な世界の中で僕を見つけ、愛してくれた。
他の誰にも替わる事の出来ない、唯一のかけがえのない女性・・・・・・ミオ。
初めて会った子供の頃から、こんなに長い間僕らは一緒に歩いて来たんだ。
哀しませた事もいっぱいあった。
君の口癖の『大丈夫、大丈夫。』が聞きたい。
せめてあの笑顔をもう一度見る事が出来れば、どんなに幸せだろう。

それでも・・。

ねぇミオ。

僕は目覚めると毎朝君のことを考える。
君が僕にくれたたくさんの日々の事を考える。

そうだよ。
君は僕に明日へ向かう勇気を毎日くれている。
ただそこに息をして、存在しているだけにしても。


人は何のために生きているのだろう。
ミオが言ったように、この美しい一瞬を楽しむためかもしれない。
でも僕は今思う。

人は誰かのために・・・
誰かに勇気を与えるために
頑張って生きてゆくんじゃないだろうか。
ミオが僕にこうして、今でも与え続けてくれているように。

ありがとう、ミオ。
僕の為に生きていてくれてありがとう。

僕はミオの折れそうな細い手をそっととった。
ふたりの手の中で、ススキがゆらゆらと頷くように頭を振った。

僕は彼女の耳元でゆっくり話しかけた。

「ミオ。僕の特別は、ずっと、いつまでも、君だけだからね?」

ミオの目がまたしばたかれた。

そして微かに・・
ほんとうに微かに、僕の手がゆっくりと握り返されてきた。



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