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虹 [雑記]

彼を一言で言いあらわすなら
『人生の達人』だろうか。

仕事を楽しみ、家族を愛し、
ささやかな庭を慈しみ、花を育て
美味しいものを愛し、それを人にふるまうことに歓びを感じられる人。

大学の同期生だった奥さまは
ころころとよく笑い、よく語り
そのそばに寄り添うように、にこにこといつも彼は立っていた。
幼い子供相手に手抜きなしで全力で遊ぶ姿。
彼の周りはいつも賑やかな笑い声が満ちていた。

穏やかで親切で、こうありたいと思う具現化のような人。

僕と出会った頃にはもうすでに、難しい癌の手術を終え
ばりばりと働いていた。
それから5年。

食事制限。
さまざまな良かれと思うことを積極的に取り入れ
禁煙は勿論、大好きだったお酒も我慢していた。
それでも少しずつ少しずつ、癌細胞は生き延びてきたのだ。

再発からひと月と少し。
彼は亡くなった。

覚悟はしていたと思う。
家族皆にこれからの事をしっかりたくし
最期の日は、大好きなアイスを奥さまと楽しく口にし、
その元気な様子に、病室を出て帰宅しようとする奥さまに向かい
「今まで長い間ありがとうね。」というのが最期の言葉であったという。

そのまま昏睡状態に陥り、静かに眠るように亡くなった。
穏やかな穏やかな死であったという。


僕も今長い闘病の途中にある。
友人には病院通いの入院仲間も多い。
こんな環境の所為だけでもないだろうが、葬儀に参列することが多い。

腹水もたまり、抗がん剤の治療も苦しいものであったと思う。
だがこんなに穏やかな死に顔を拝見したのは初めてだった。
かすかに微笑んでいるようにさえみえる。
死してもなお、こうありたいと思える見事な死というものはあるものだ。

若くしての死は、ご家族にどれだけの哀しみだとは思うが
やりたいことをやり遂げ、大好きな人に囲まれ、これほど愛し愛された人生。
僕には眩しいくらいに羨ましく思えた。

葬儀は多くの友人知人が押しかけ、焼香の後ににひとりずつ声をかけて行かれた。
大きな声で「ありがとうございました」「おせわになりました」と
震える声でかけられる言葉に、彼の人柄がよくわかる。
大好きな丹精した庭の花を棺に溢れるほどいっぱいに、彼は旅立った。


彼の訃報に接してもう10日ばかりだろうか。
未だに僕は彼の事が頭を離れない。
冷たい頬に触れても、彼がもういないということに頭がついてゆかない。
今まで友人の死に接すると、僕は次は自分ではないかと心が震えた。

でも初めて僕は思ったんだ。
僕はまだ生きている。
まだ自分の思うことをこうして自分の体を使って出来るじゃないか。

怯え悲観して絶望する時間も
楽しく出来ることをする時間も、
僕が自由にまだ選べるくらいには生きているじゃないか。


彼はきっと言うだろう。
「僕の時間は終わったけど、君の時間はまだあるじゃないか。」
「悔やまないように、精いっぱい生きてゆけよ。君が楽しめばいいんだよ。」



この記事を書き始めた時
雨をぬって西の空に久々の見事な夕焼けをのぞんだ。
ふと振り返ると
反対の東の空に大きな明るい虹が綺麗に半円を描いていた。

もう一度激しく強く彼を思った。
涙が止まらなかった。

それでも口元にはようやく笑みが浮かべることができた。


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コメント 6

siamneko

( ̄― ̄°) ほろり

コメントを書いていたら、長文になってしまいました。
あとで自分ちの日記にエントリーします。
by siamneko (2017-09-16 18:36) 

takehiko

> siamneko さま
コメント拝見いたしました。
大変だったのですね。
よくぞ頑張ってこられましたね。
おかげさまで僕も楽しい記事や作品を
ドキドキと拝見することが出来たわけですね^^

思った以上に精神的に参っていたようで、
ここしばらく熱も出していましたが
ようやく落ち着いてきたようです。
楽しく無理せず自分らしく
いっしょに長生きしてゆかなくちゃいけませんね^^
ありがとうございました!



by takehiko (2017-09-17 00:12) 

U3

人生思う様にならぬもの。
そして寿命は自分が決めるのではなく天が決めるもの。
それだからこそどんな境遇にあろうと精一杯生きていくしかない。
『棺を蔽いて事定まる』
by U3 (2017-09-17 10:03) 

takehiko

>U3さま
浅学な僕の曖昧な知識でお恥ずかしい限りですが
『棺をおおうて事定まる』は
人の真価は亡くなってから解る・・的な意でよろしいでしょうか。
虎のように皮も残せず、まして名も残せない僕は
『死して生きざるは生きたるにあらず』などと言われるのでしょうが
この友人の生きざまを想うと
仰るように精いっぱい生きて行くことこそが
彼から手渡されたバトンだと思うようになりました。
近しいものの永遠の別れは
沢山のものを贈られるものですね。

深いコメントをありがとうございました。

by takehiko (2017-09-17 13:13) 

U3

takehikoさんへ
なにひとつ
他人に誇れる様なことを成し得なかったとしても、たとえ自己満足でも精一杯人生を生ききればそれでよろしいのではないでしょうか。またその様に生きて来られた人ならば棺を蔽いて悪し様に言う人などありはしません。盛大に故人を偲ばれるより、例え少しでも心より故人を思い涙してくれる者あればその人の人生は生きた甲斐があったと云えるのではないかと思います。偉人や人徳のある方だけが素晴らしいのではありません。むしろ市井の中にこそご友人の様に「人在り」と思います。
by U3 (2017-09-22 09:31) 

takehiko

>U3さま
再びのコメント、ありがとうございます。
何度も拝見してU3さまのお人柄を想いました。
亡くなった友人の代わりはいません。
どれほど大事で最愛の人でも
その友人の代わりにはなれないと気付くほどに
彼にもう一度会いたい、話がしたいと切実に思います。
先に逝かれた恨みも言いたい。

でもふと僕も思うのです。
僕も彼のように、誰かの惜しまれる人になり得るだろうか。
たとえ独りでもそう思ってくれる人がいるなら
仰るように「生きた甲斐」があるのかもしれませんね。

by takehiko (2017-09-22 23:25) 

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